朝日新聞に比べると影響力は小さいと思いますが「岩波書店」が敗戦時からすっと左翼の形成に貢献してきました。「朝日岩波文化人」という語があって、岩波の本と朝日新聞を読んで馬鹿になってしまったような人のことです。
残念ながら自民党の中にもこの言葉をもじった「朝日岩波自民党人」が沢山います。
岩波書店って、あのマークの本ですよ。 日本に左翼思想をせっせと種撒いている図。
そして生えてきたのがいまウンザリするほどいる左翼人です。
書店ではマークにお気をつけください。
「世界」は岩波が出している月刊誌です。古賀元幹事長はよくこんな雑誌に出たものだ(呆)
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【河村直哉の国論】
「朝日岩波自民党人」の戯れ言は聞くに堪えない…「日本という国を守り保ちたい」常識的日本人感覚なき者は「保守」の看板を外せ
日中友好協会代表団として北京空港に到着し、木寺昌人・中国大使に支えられて歩く加藤紘一元自民党幹事長(左端)。村山富市元首相(右から2人目)も足取りがおぼつかない=平成25(2013)年1月28日(ロイター)
いい加減、静かにしてほしいものである。言論の自由が保障された国だから議論も結構だ。しかしそれにしてもこの間の、ひたすらオウンゴールを狙うかのごとき利敵発言はなんとかならないものか。集団的自衛権をめぐる元・現自民党議員の雑言には、あきれるほかはない。
跋扈する「朝日岩波自民党人」
6月12日付朝日新聞朝刊には、かつての社会党の村山富市元首相となかよく並んで、加藤紘一元幹事長が登場。「戦争を知らない政治家が国民をあおっている」「中国の脅威というが、中国の観光客は増えている。もっと民間交流をすすめよう」。この人が防衛庁長官の任にあったのが、中国が本性を隠していた1980年代でつくづくよかった。村山元首相に至っては、中韓との関係悪化の原因は安倍晋三首相が作り出した、と一方的に決めつけている。
岩波書店の雑誌「世界」7月号に登場したのは、古賀誠元幹事長。平和主義、平和主義と繰り返し、集団的自衛権の行使容認を批判している。激しく流動する現在の国際情勢に対応して、平和を守るためにより効果ある抑止力を築くのが集団的自衛権であることは、現実を見ればだれでもわかることだろう。「日本は『普通の国』になど、ならなくていいと思います」というに至っては、情けないというに尽きる。独立国たらんとする気構えがまるで感じられない。
加藤、古賀両氏は共産党機関紙・赤旗にも登場し、集団的自衛権の行使容認を批判。古賀氏は5月、「週刊朝日」のインタビューでも、安倍政権の「右傾化」のテンポが速すぎるなどと語り、左傾人士を喜ばせた。ちなみに「世界」6月号には現役の野田聖子総務会長も登場。自民党は「かなり右にずれた」とやっている。
戦後のいわゆる進歩的知識人が活躍したのが、これら朝日新聞や岩波書店。「朝日岩波文化人」といわれた。日本を卑下し、またユートピア的平和を唱える戦後左傾日本の、旗振り役となったメディアである。どうやらいまは「朝日岩波自民党人」とでもいうべき人種が跋扈(ばっこ)しているようだ。
一口に自民党といってもいろんな考えの人がいたし、日本が安穏と平和に安んじていられるうちはまだ、浮世離れした議論も許された。しかしいまはすでに非常事態である。日本という国を保ち守ることが何より求められている。左傾メディアを喜ばせているこれらの人士は、保守人ではないと筆者は断ずる。
「間違った『保守』の使い方」
加藤氏も古賀氏も、「保守本流」を自任する派閥、宏池会の中心にいた人である。古賀氏は「世界」のインタビューで、保守本流の原点に返れ、といっている。だがその「保守本流」とは何だったか。なにを保守すべきかという、定見はあったのか。
この問には、自民党がすでに1つの答えを出している。政権交代があって下野した平成21年、自民党は党の再生を議論する政権構想会議を作った。そこで議論されたのが、なんと「保守」の定義だった。
じつはこのころ、名は伏せるが保守論壇を代表するある論客のところに、自民党幹部から相談が持ち込まれた。保守とはなんなのか教えてほしい、と。昭和30年の保守合同以来、長く政治の要にあった保守政党が、保守とはなんなのか分からないというのだ。あれやこれやをじっくり講義しましたよ、と論客は少々肩を落として筆者に語った。
政権構想会議の議長代理を務めた伊吹文明元幹事長はそのころ、こういっている。当時の産経新聞の記事による。「(保守合同は)反社会主義や反共産主義の政党が一緒になっただけ。保守主義の政党が一緒になったわけではなかった」。宏池会が自派を保守本流と呼ぶことについても、「自民党の権力の本流にいたということで、保守主義の本流にいたのとはまったく違う」。そして「間違った『保守』の使い方をしてきた」とまで述べた。
いまでこそ、歴史や慣習によって成り立ってきた国柄を保ち守るという保守の考え方は、広く共有されている。国家の領域や国民の安全を守ることがその大前提にあることは、いうまでもない。
ところが戦後日本の政治上の文脈で語られてきた保守は、守るべき国柄の前提となる自国の安全を、日米安保により他国に委ねて思考停止に陥ったまま、疑うことがなかった。反共的、親米的であることがすなわち保守であるという、国柄の保守とはかけ離れた、なんとも奇妙な政治状況が長く続いたのである。
独立国家なら当然持ってしかるべき軍隊と、戦力の保持を認めない戦後憲法の矛盾をどう解決するかといった根本的な問題は、手つかずのまま先送りされてきた。
ハト派のおしゃべりは迷惑
このように戦後日本を振り返ると、いま問題になっていることがなんなのか、見えてくる。中国の脅威はすぐそこにあり、集団的自衛権の行使容認をはじめ、安全保障上の整備を急がねばならないのは無論のことだ。それ以上に、自国の安全を他国に委ね、守るべき国柄すら軽視してきた日本の戦後を、改めて見直し立て直すべきなのである。
戦後のひずみを見ようとしない「保守本流」など、保守ではない。ハト派的な甘いおしゃべりをいまさら垂れ流されるのは、迷惑でしかない。世間を混乱させるだけなので、「保守」などという看板をはずすべきである。
保守だのなんだのとややこしいことをいわなくても、常識ある日本人が、日本という国を保ち守りたい、大切にしたいと、いま心の底から思っていることを筆者は感じる。その感覚こそが、あえていえば保守なのだといってよい。
(大阪正論室長)