『報道を斬る! (旧デイリー・メディアチェック)』(nifty ココログ)より転載させて頂きました。
文中の主筆というのは主席の記者で、社説や論説など主要な記事を書く人です。
若宮元主筆は「安倍の葬式はウチで出す」と言った本人で、正しく報道しようとする姿勢のカケラもありません。
(以下、転載記事 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます)
私は今、目に涙をためている。これほどまでに朝日新聞は腐っているのか。その①。
今後朝日が、第三者の検証委員会を作ると言ってましたが、その委員会にすごーく影響力を持つと思われる、朝日新聞元主筆が既にご本人の感想を文芸春秋に投稿しています。
文芸春秋2014、10月号
朝日新聞の元主筆 若宮啓文(わかみや よしふみ)氏が
今回の朝日の「慰安婦検証記事」朝日OBはこう読んだ。という3人のOBのトップで執筆している。
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果たせなかった政治部長の責任 元主筆 若宮啓文
若宮氏は1970年、朝日新聞入社。96年に政治部長就任後、論説主幹を経て、2011年から昨年1月に退社するまで主筆を務めた。現在、日本国際交流センター、シニアフェロー。
論説主幹だった05年、コラム「風考計」で、日本が韓国に竹島を譲り「友情島」と呼ばれるようになると夢想するーと書いて物議を醸した。
今回の検証記事で故吉田清治氏の証言を「虚偽」と認め、明確に取り消したことに、よくやったと思うと同時に、複雑な思いを抱きました。
私は朝日在職時から、吉田証言は事実ではなかろうと思い、「あの時」にはっきり取り消していればよかったと思ってきたからです。
自分の著書で吉田証言の報道を「勇み足」と書いたのもそういう気持ちからで、今後輩たちが真剣に対処していることに忸怩たる思いがあります。
あの時とは、今から17年前のことです。97年に朝日は従軍慰安婦に関する特集記事を掲載しましたが、その中で吉田証言の扱いも課題となりました。当時、私は政治部長でしたから、それなりに特集と関わっていた。
社内にはこの際、吉田証言を訂正した方がよいという意見があり、私もその1人でした。証言は極めて怪しく、潔く正したほうが朝日のためにもなると考えたのです。
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後から何とでも言える。自分は良い子ちゃんを気どって、先ずは責任回避発言を前置きしている。
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しかし、検証したグループには「そこまで踏み切るのは難しい」という意見も強かった。
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そう言っていたのは誰たちなのかはっきり言って欲しい。誰たちなのかうやむやにするから思いこみ反日記事を裏をとらずに書いてしまうのだ。誰たちかはっきりさせて、報道には関わりの無いところに配置転換させるべきなのだ。
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吉田本人がまだ存命中で、著書ではフィクションを交えたと認めていたとはいえ、全てがでっち上げだと認めたわけではなく、完全に取り消すことに抵抗があった。確かに「事実が全くなかった」ことを証明するのは困難だったのです。
特にそれまで記事に関わってきた人たちには、その気持ちが強かったと言えるでしょう。
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完全に自分は「無実だ」と言いたいらしい。しかし、この当時若宮は政治部長で、自民党国会議員の「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」が、築地の本社まで訪問して申し入れをされていたのだ。(衛藤議員、安倍議員)
だから、今までの記事の訂正やお詫び、取り消しのタイミングはしっかりとあったのだ。若宮は政治部の責任者で、国会議員がわざわざ本社まで申し入れをしてきたのに、「社説に書いていることが我々の全てです。」と即答した。そして、申し入れを無視したのだ。
時間が経って、誰も知らないと思っているのだろうか?誰も気づかないとでも思っているのだろうか?当時の政治部次長は薬師寺だ、薬師寺にでも聞いてみろ!
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慰安婦問題はなくならない
その結果、「氏の著書を裏付ける証言は出ておらず、真偽が確認できない」と記述するにとどまりました。それでも朝日新聞はこれを大きな「修正」と考え、もちろんそれ以後、吉田証言に依拠するような報道や主張は一切していません。
ですから、いま「30年以上も虚報を垂れ流した」といった批判がされるのは大変心外なのですが、不十分な対処が批判を引きずることになり、禍根を残した事は間違いありません。
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反省するところが、全く的を外れている。吉田証言を報道した32年前だ。それから、河野談話までの10年間でどれほどの害をまき散らしたのか、嘘の強制連行の裏付けを垂れ流したままほっといた責任。に対しての反省は全く、全然、微塵も無いのだ。
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私はその後、論説主幹や主筆を務めましたから、その間に改めて何とかしておけばよかったという思いもあります。そういう論議をしなかったわけでもない。
ただきっかけをつかみにくかったのは事実です。
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結局自分は吉田の慰安婦ウソ報道については何もしなかった。そして、竹島を韓国に譲れとか、痛いところ突いてくる安倍を叩けだとかそっちの方は必死で頑張ったわけだ。
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またこの問題にこと寄せて、朝日の慰安婦報道を根底から否定したり、あるいは慰安婦問題そのものまで全面的に否定するような論調があった中で、火に油を注ぐのではという心配もあった。
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お得意の論点のすり替え。全く反省するしたふりをして、そして論点をすり替える。本当に潔くないし、これだから信用されない。
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それでも今回、取り消しに踏み切ったのは、このところ河野談話がらみで朝日への攻撃が激しくなる中で、火の粉をかぶってでも身ぎれいにしようという決断だったのでしょう。
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どうかしているのか!この人。自分ら(朝日新聞)がつけ火しておいて、火の粉をかぶってでも身ぎれいだ~!?猛火にあって苦しんでいるのは、グレンデール市に在住する日本人達をはじめとする日本国民全体の尊厳だ!戦争で死んでいったお爺ちゃん。戦争から復員してきたお爺ちゃん。どれだけ辱めてきた事か!
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私は社会部を中心にして慰安婦問題の掘り起こしに取り組んできた事は非常に意義があったと思います。
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だったら、本当の事に何故目をつぶるのだろうか?慰安婦達が、採用にあたり面接があり、当時女性が工場で必死に働いても月20円の時代に月300円の給料をもらい、3000円の前借が出来、実家に仕送りをし、休みの日には芝居を見に行き、高価なダイヤモンドの指輪を買っていた慰安婦らがいた事実は、朝日新聞の購読者には知らせられない。(絶対に書かない)。これらの事は証言や、日記から明らかな事実だ。
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しかし、吉田証言に限らず、初期の報道に混乱や行き過ぎた部分があったことは、この際、率直に反省する必要があると考えます。
それにしても、検証記事が出てからの一連の批判には、案の定おかしなものが多すぎる。私は過去の対応のまずさを自己批判しつつ、それでも、これだけは言っておきたい。
例えば、朝日が吉田証言を否定したから河野談話は根拠を失った、という主張がありますが、全く的外れです。河野談話の作成にあたって、吉田証言は何の根拠にもなっていないからです。
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このストーリーは9月11日朝日社長会見の日、わざわざ午後7時30分という時間を選んで、9時のNHKニュースに間に合わせず、9時54分からの報道ステーションにフォローさせたという丹念に計画された「何故PM7時30分?」ストーリーでバレバレです。白旗をあげて進軍している姿が哀れだ。
吉田証言を記事にしてから河野談話までには10年の歳月が流れている、それは10年間で、どんどん拡散していき、韓国では挺身隊問題対策協議会が設立されたり、強制連行なんかされてなくても強制連行されたと言い出して被害者ずらをするハルモニたちがどんどん増えていった事には全く検証さえしないのだ。
取り消さなかった為に、1996年国連の人権委員会でクマラスワミが慰安婦のハルモニからでっち上げされて作り上げられた嘘の証言とその時から24年前の吉田証言を採用して採択されたりして、今では世界中に慰安婦像なる代物が立てられるしまつ。
この事に反省する気や検証する気は全くない事が良く解るのだ。
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また、朝日新聞が記事を「捏造」したというのも誤りです。朝日の記者は吉田氏にだまされたのであって、もちろんだまされた責めは免れませんが、捏造とは次元が異なります。
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元OBだから、私は代弁してやるよ的な発言ですね。この方当事の責任者ですがね。
続きは次号「私は今、目に涙をためている。これほどまでに朝日新聞は腐っているのか。」その②で書きます。