【山口淑子さん死去】
「中国人のふり、悩み続けていた」 自叙伝の共著者・藤原作弥さん
2014.9.14 16:44(産経)[有名人の訃報]
山口淑子さんの自叙伝「李香蘭 私の半生」の共著者で、元日銀副総裁、元時事通信解説委員長、藤原作弥(さくや)さん(77)の話
戦時中の出演作品を後に一緒に見たとき、「私、こんな(国策)映画に出ていたのね…」とホロホロと涙を流されたことが印象に残っている。
「歌う女優・李香蘭」としてスターに上り詰めたが、関東軍や満州国の宣伝に利用され、日本人なのに中国人のふりをして女優を続けねばならぬことをずっと悩み続けていた。戦後も、そのレッテルを剥がすのに随分苦労されたのではないかと思う。
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動画は大ヒットの「イエ・ライ・シャン(君いつ帰る)」ほかに「支那の夜」なども有ります。
往年の大女優・歌手、山口淑子さんが逝かれました。
私の世代としては、山口淑子という名と李香蘭という名が混在していて、同一人物だと知ったのはたまたま、とても強いインパクトある出来事だったのです。
そのとき仕事で埼玉に居た私は「田中角栄来る!」の看板を見て、仕事を放り出して行きました。会場は大きなグランンドで沢山の人が集まってました。でも予定時間近くなっても、始りそうにない。
その時会場の上空を2機の大型へり(バートル)が通過し、「もしかして」と思いました。やがてパトカーの先導でやって来た田中角栄総理が登壇してあのガラガラ声で話し出す。最高の演出でした。噂通り演説がうまい。みんなが引き込まれます。
そして山口淑子さんを紹介しました。参議院に立候補したものの形勢不利で田中総理が応援に駆け付けたのです。
既に山口さんはお若くはなかったですが、とにかく綺麗でした。
田中総理「投票用紙に山口淑子と書いてください!李香蘭でもいい!」
李という中国人に実の娘のように可愛がられて、「李香蘭」を芸名にし、戦中に日本と中国の両方で活躍しました。戦争が終わって中国で売国奴として裁判にかけられるなど数奇な人生を経てまた芸能生活を送ったのち、タレント議員(もしかして初代かも)になったのですね。
報道記事によると、生き方を自虐する気持ちがあったのでしょう。今まさに進行中の真の歴史を見直す動きを知られていたら、自信を取り戻されたでしょうが、残念です。
彼女は「李」を名乗ったけれど、「山口」に回帰されてますね。逆通名だと思います。
名前は個人のアイデンティティそのもので、名前と精神的アイデンティティが一致しない状態は葛藤を生み出します。
在日韓国人たちも、本名を名乗りましょう。
山口淑子さん、お疲れ様でした。安らかにお眠りください。