momongaさまのブログ『momongaの雄たけび・・・なんてね(*^-^*)』(Amebaブログ)より転載させて頂きました。
日本人はいま、多くの人が自分の得意なこと、「これなら自分にもできる」ということで闘ってくれています。
専門知識だったり、パソコンなどの技術だったりすることもあるでしょう。
どんなことでもいいのです。
勉強したことや、仕事や趣味で得たこともあるでしょう。
それにしても、こちらの転載元さまの場合は凄すぎる。
頼もしいです。
(以下、転載記事。 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます)
嘘といえば韓国人とおサヨク様
まあ嘘と言えば
おサヨク様も非常に得意なわけでした・・。↓
おサヨク様の自己宣伝
BBCの報道
http://www.bbc.com/news/world-asia-34101222
Thousands of people have protested outside of Japan's parliament
against new legislation that
would allow the military to deploy overseas.
(数千人の民衆が
日本の国会議事堂の外で自衛隊を海外派遣できるようにした
新しい法案に対する抗議を行った。)
(引用ここまで)
10万人ね~。
嘘がバレバレ・・。
でも数千人っていっても
peopleじゃなくって
Koreans
ってのが正解だったりして・・。
ちょっと前に韓国人が出してきた
飛鳥寺と蘇我氏の韓国起源説・・・。
ちょっと話がややこしかったのでしばらく書かなかった
んですけど他にたいした記事もなかったので
いちおう反論しようかな・・・と。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150827-00000012-xinhua-cn
韓国・東亜日報は26日、
日本最古の寺院「飛鳥寺」について
「百済職人が建てた(*^▽^*)
当時最先端の建築物」
と紹介する記事を掲載した。
記事は、飛鳥寺は
「百済の子孫 Σ(・ω・ノ)ノ!
の蘇我馬子」
が、百済職人を招いて596年に建立したもので、“日本仏教の一番地”
と説明した。また、飛鳥寺が日本で初めて礎石や瓦屋根を使った
建造物であるとも強調している。
(引用ここまで)
バカみたいだけど
結局コイツラが言いたいのは
①蘇我氏は百済の子孫
②飛鳥寺は百済の寺の模倣
っていうことなんですけど、
だいたい
①の蘇我満智が百済の高官、木満致と同一人物
だとする説も日本人なら(門脇禎二)
それはさすがに考えられないと
否定したのも日本人(水谷千秋)
だという有様。
私も水谷さんの意見には賛成ですね。
いくら日本書紀の年代が無茶苦茶とはいえ
さすがに年代が合わなさすぎるし、
その当時日本に来た渡来系
氏族が皆元の姓を名乗って
いるのに(秦氏とかね・・。)
なんで木満致だけが木姓を
棄てないといけないのか
ワケわかんないモノね・・。
ひょっとすると蘇我氏には渡来系の血が入ってる
(百済とは限らない)
可能性はあるとは思うけど、姓は臣なわけで
王族出身でいいんじゃないですかね。
馬子が何度も葛城氏の旧領を欲しがってたわけだし
葛城氏系の豪族だったんじゃないかしら。
あんまりいうと湧いてくるのでくるのでここまでに
しときますけど。
②だけど
百済の当時の寺院の伽藍配置様式はほぼすべて
単塔一金堂式
その昔、朝鮮人がどうしても飛鳥寺のモデルだと
うるさく言ってた百済の王興寺の模型・・。
どう見ても建物が直線形に並んでるでしょ!!
飛鳥寺は
単塔三金堂式
飛鳥寺の模型
五重塔を3つの金堂が取り囲む様式
参照http://masa4534.blog.fc2.com/blog-category-93.html
どっちかっていうと高句麗の様式に近いですよね。
まあ高句麗の影響も受けてたってことは
かろうじて元記事にも
書いてたみたいではありますが。
百済の職人さんが
作ったのにね~。
ってか専門家さんによると両者の様式を参考にした
独自様式という考え方もあるようです。
だいたい
いつも百済は日本に教えた教えたって
ホルホルしてたるけど
百済は日本の属国だったんだから教えるのは実は
当たり前だったして↓
飛鳥寺と蘇我氏の韓国起源説・・・。
ちょっと話がややこしかったのでしばらく書かなかった
んですけど他にたいした記事もなかったので
いちおう反論しようかな・・・と。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150827-00000012-xinhua-cn
韓国・東亜日報は26日、
日本最古の寺院「飛鳥寺」について
「百済職人が建てた(*^▽^*)
当時最先端の建築物」
と紹介する記事を掲載した。
記事は、飛鳥寺は
「百済の子孫 Σ(・ω・ノ)ノ!
の蘇我馬子」
が、百済職人を招いて596年に建立したもので、“日本仏教の一番地”
と説明した。また、飛鳥寺が日本で初めて礎石や瓦屋根を使った
建造物であるとも強調している。
(引用ここまで)
バカみたいだけど
結局コイツラが言いたいのは
①蘇我氏は百済の子孫
②飛鳥寺は百済の寺の模倣
っていうことなんですけど、
だいたい
①の蘇我満智が百済の高官、木満致と同一人物
だとする説も日本人なら(門脇禎二)
それはさすがに考えられないと
否定したのも日本人(水谷千秋)
だという有様。
私も水谷さんの意見には賛成ですね。
いくら日本書紀の年代が無茶苦茶とはいえ
さすがに年代が合わなさすぎるし、
その当時日本に来た渡来系
氏族が皆元の姓を名乗って
いるのに(秦氏とかね・・。)
なんで木満致だけが木姓を
棄てないといけないのか
ワケわかんないモノね・・。
ひょっとすると蘇我氏には渡来系の血が入ってる
(百済とは限らない)
可能性はあるとは思うけど、姓は臣なわけで
王族出身でいいんじゃないですかね。
馬子が何度も葛城氏の旧領を欲しがってたわけだし
葛城氏系の豪族だったんじゃないかしら。
あんまりいうと湧いてくるのでくるのでここまでに
しときますけど。
②だけど
百済の当時の寺院の伽藍配置様式はほぼすべて
単塔一金堂式
その昔、朝鮮人がどうしても飛鳥寺のモデルだと
うるさく言ってた百済の王興寺の模型・・。
どう見ても建物が直線形に並んでるでしょ!!
飛鳥寺は
単塔三金堂式
飛鳥寺の模型
五重塔を3つの金堂が取り囲む様式
参照http://masa4534.blog.fc2.com/blog-category-93.html
どっちかっていうと高句麗の様式に近いですよね。
まあ高句麗の影響も受けてたってことは
かろうじて元記事にも
書いてたみたいではありますが。
百済の職人さんが
作ったのにね~。
ってか専門家さんによると両者の様式を参考にした
独自様式という考え方もあるようです。
だいたい
いつも百済は日本に教えた教えたって
ホルホルしてたるけど
百済は日本の属国だったんだから教えるのは実は
当たり前だったして↓
まあ嘘と言えば
おサヨク様も非常に得意なわけでした・・。↓
おサヨク様の自己宣伝
BBCの報道
http://www.bbc.com/news/world-asia-34101222
Thousands of people have protested outside of Japan's parliament
against new legislation that
would allow the military to deploy overseas.
(数千人の民衆が
日本の国会議事堂の外で自衛隊を海外派遣できるようにした
新しい法案に対する抗議を行った。)
(引用ここまで)
10万人ね~。
嘘がバレバレ・・。
でも数千人っていっても
peopleじゃなくって
Koreans
ってのが正解だったりして・・。