「愛国百人一首って、一体何?」の疑問には、下の過去記事一覧をご覧ください。
我が国は天照る神のすゑなれば日の本としも言うにぞありける
平安末期の藤原良経(1001-1058)の作です。
我が国が「日本」と名乗ったのが、いつからは不明ですが、大宝律令(701)には既に「日本」の記述があるらしいです。
聖徳太子が隋の煬帝に出した国書(607)を出し、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」の堂々とした書き出しは有名ですね。
中国の古都の西安で「日本」を記した墓碑が見つかっています。日本から渡った人かもしれませんね。この墓碑は678年だそうです。
だとすると、607年-678年のどこかで、我が国は「日本」を呼称したことになります。
(勝手に意訳)
我が国は天照大神の末裔の国なので、日の光の元の意味で「日の本」とも言うんだよ
並立の助詞「も」が入っているのは、「やまと」の言い方が一般的だったからかと推測します。
日本は他にも多くの呼称があります。"しきしま"も、“おおやしま”も、“あきつしま”も、どれもこれも美しい響きですね。
[愛国百人一首]の過去記事
[愛国百人一首] おほきみは、神にしませば、天雲のいかづちの上にいほりせるかも (「愛国百人一首」の紹介を含む)