「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが死去 93歳
「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの人気漫画家で、文化功労者の水木しげる(みずき・しげる、本名・武良茂=むら・しげる)氏が30日午前7時ごろ、心不全のため東京都内の病院で死去した。93歳。鳥取県出身。
大正11年、大阪で生まれ、間もなく鳥取県境港市に移った。早くから絵の才能を発揮し、13歳で油絵の個展を開き、新聞の地方版に「天才少年」と紹介された。
高等小学校卒業後、15歳で大阪の石版印刷会社に就職したが2カ月で解雇。美術学校に通った。18年に徴兵され出征し、激戦地ニューブリテン島のラバウル戦線でマラリアを発病、空襲で左腕を失った。
水木氏は、南方の苛酷な戦地で何度も死と隣り合わせの体験をして、これが「墓場の鬼太郎」を描く背景にあったと私は思っています。「ゲゲゲの・・」ではないのは、
テレビ化に際して「墓場の・・」では具合悪かったらしいです。
私は少年のころ、毎夜、復員した兵士の手記のラジオ放送を聞いていました。
陸軍も海軍も階級も戦地もじつに様々に多くの人が寄稿していました。
その中にひとつ不思議な体験談がありました。幽霊船を見たというのです。
その話は信じたいです。多くの命が去ったときは不思議なこともきっと起こったでしょう。
さて『ガロ』という漫画雑誌が昔ありました。左傾ながら、これまでになかった全く新しい作風の漫画を集めた本で、私は兄が級友から借りてきたガロを見ることが出来ました。
これが少年時代の私に衝撃を与えた水木氏の画風です。
水木氏が日本各地に伝わる民話の妖怪を取り上げてくれたことは、とても大きい功績だと思います。これらは時代の移り変わりで廃れて消滅してしまうところでした。
日本の妖怪は西洋の化け物とは全然違いますね。
人間や動物や身の周りの物までが、出来事やそれへの想いを断ちがたく、幽霊になって現れます。
この考えは能楽が出来た頃の日本からずっと続いているのです。
そして現在やっている「妖怪ウオッチ」では更にはっきりと打ち出されています。
妖怪ジバニャンは女の子にとても可愛がられていましたが、車に轢かれてしまい、死ぬときの最後に聞いた言葉が「車に轢かれたくらいで死ぬなんて ダサ・・」。
そのことで地縛霊になりました。
こうして現代の子供達も日本人の死生観を継いでくれます。
『妖怪ウオッチ』は水木しげる氏の作品なくして生まれて来なかったのではと私は思っています。
水木しげる氏、ありがとうございます。 合掌。