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実は薄氷の勝利だった日本の新元素113番の発見

【新元素113番の輝き(上)】ドンペリをたたき割り実験続行「魔の7年間」乗り越え、日本が露米に逆転勝利した真相とは


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日本が発見した元素が周期表に初めて記載される。科学史に残る画期的な成果は、どのように生まれたのか。研究チームの情熱と国際競争の舞台裏に迫る。
 大みそかの午前5時。理化学研究所の森田浩介グループディレクター(58)は、新元素を認定する国際機関の関係者から電話でたたき起こされた。「113番元素の認定に関するメールが届きますよ」。眠い目をこすりながら半信半疑でパソコンを開いた。
 「命名権をあなたに与える。おめでとう!」
 英文で確かにそう書いてある。待ちに待った吉報だ。「気が変になるかと思うぐらいうれしかった」
 すぐに約50人の研究メンバーにメールを一斉送信。受け取った理研の羽場宏光氏(44)は「ついにこの日が来たのか」と驚く。喜びは理研中に広がった。
 前理事長の野依良治氏(77)は旅行先の伊豆で知らせを受けた。「日本の科学界の長年の悲願成就だ」。森田氏を祝福しようとしたが、連絡できなかった。森田氏は緊急会見に臨むため急遽(きゅうきょ)、自宅がある福岡から飛行機で羽田に向かっていたからだ。
 午後5時、埼玉県和光市の理研本部。会見場は熱気に包まれた。「新元素が周期表に載るのは感慨深い」。満面の笑みで語る森田氏の姿は元日の新聞各紙を飾り、世界に配信された。

野依氏「素晴らしい金メダルだ」
 元素は物質を構成する基本的な粒子である原子の種類で、原子番号118番まで見つかっている。92番のウランより重い元素は原子核同士を衝突させることで人工的に合成される。113番は理研と、ロシアのドブナ合同原子核研究所を拠点とする露米チームがそれぞれ発見を主張し、10年を超える争いが続いていた。
 科学の世界には、一番手だけに栄誉が与えられる厳しいおきてがある。そう話すノーベル賞受賞者の野依氏は「ノーベル賞は10年で忘れられるが、元素の命名は永久に忘れられることはない。素晴らしい金メダルだ」と最大級の賛辞を贈る。
 勝利の原動力は理研チームの忍耐強さと、愚直に実験を続けるひたむきさだった。主導した森田氏は14年前、実績のあるドイツの実験を再現することから研究に着手。本家を上回る合成率を達成してノウハウを蓄積した。この地道な戦略が大成功の基礎になった。
 チームの姿勢を象徴するエピソードがある。平成16年に1個目の合成に成功したとき、森田氏らは高級シャンパンの「ドン・ペリニヨン」を、飲まずに理研の敷地内でたたき割った。実験は船出したばかりで、これから何が起きるか分からない。船の進水式で酒瓶を割る儀式をまねて、浮かれないように戒めたのだ。
 113番の合成確率は、わずか100兆分の1。砂漠を歩き、ひと粒の宝石を探すようなものだ。2個目の合成は予想以上に早い9カ月後に成功した。しかし、森田氏の上司だった矢野安重特別顧問(67)は「すんなり行き過ぎて、次は長くなるのではと嫌な予感がした」。懸念は的中し、何の成果も出ない「魔の7年間」が始まった。

チームを襲った疑心暗鬼
 実験は原子核の衝突エネルギーを厳密に制御しないと成功しない。「やり方が間違っているのでは」と指摘する声も上がり、チームを疑心暗鬼が襲う。分析を担当した森本幸司氏(48)は「不安で重圧に押しつぶされそうだった」と打ち明ける。それでも森田氏は「われわれは間違っていない」と確信し、同じ条件で実験を続行した。

 東日本大震災では電力不足に陥ったが、非常用電源で実験を継続できた。チームの熱意にほだされ、他の研究者が電力を譲ってくれたからだ。基礎研究にじっくり打ち込むことを許容する理研の風土も味方した。
 ただ、成果が上がらない実験をいつまでも続けるわけにはいかない。装置の総工費は73億円。実験費用は電気代を含め9年間で3億円に達していた。実験は24年10月1日に打ち切ることが決まった。
 残り2カ月を切った8月12日。幸運が突然、訪れた。より信頼性が高く、勝利の決定打となった3個目の合成に成功したのだ。

 国際機関に新元素の認定を申請する期限は既に過ぎていたが、審査委員会はこのデータを追加資料として受理した。これがなければ露米が認定されていた可能性が高いと審査関係者は明かした。まさに薄氷の勝利だった。
 日本はなぜ強豪国の露米を倒せたのか。勝因は「信頼性の差」だ。しかし、その道のりは険しかった。
 理研の合成方法は加速器を使って亜鉛をビスマスという元素に高速でぶつけ、原子核同士を融合させるやり方だ。合成した113番元素はすぐに壊れ、別の原子核に次々と姿を変えていく。本当に合成できたかを判断する上で重要なのは、この崩壊過程で素性を既に知っている原子核を確認すること。そこから親子代々の系譜をさかのぼれば、最初に合成したのが何だったのか突き止められるからだ。
 理研は既知の原子核への崩壊を複数のルートで確認。確実な「物的証拠」を押さえ、113番の合成を高い信頼性で証明した。
 一方、露米はカルシウムをアメリシウムに衝突させ、まず新元素の115番を合成。これが壊れて113番ができたと主張した。だが、崩壊過程で確認したのは正体不明の原子核ばかりで、いわば「状況証拠」に過ぎない。この弱点を補うため、理研の3個をはるかに上回る数十個をさらに合成する作戦に出た。

「予想外の決定」とロシア反発
 数は少ないが物証をつかんだ日本と、多くの状況証拠を積み重ねた露米。審査委員会が重視したのは、信頼性の鍵を握る既知の原子核の確認だった。委員長を務めた米カーネギーメロン大のポール・カロル名誉教授は「どちらも敗者ではないが、露米は基準を満たさなかった」と明かす。
 ドブナ研究所は今月6日、「露米は100個も作っており予想外の決定だ」と不満をあらわにする異例の声明を公表。カロル氏は「熱狂的な愛国心の権利は誰にでもある」と受け流すが、審査委員の一人は「実験の質を考えない全くばかげた内容だ」と不快感を示した。
 ただ、既知の原子核の確認は、本来は新元素認定の要件だが、技術的に難しいため近年は必須条件とはされていない。114番と116番は、2011年に状況証拠だけで露米が認定されていたのだ。
 元素に詳しい日本原子力研究開発機構の永目諭一郎副センター長(62)は「114番の前例から理研の認定はかなり難しく、露米に決まると思っていたので驚いた」と話す。質の高い完璧なデータをそろえた日本と戦った露米は、不運だったともいえる。
 露米が113番を最初に合成したのは03年で、状況証拠を認定水準にまで磨き上げたのは13年。日本は最初の合成で1年出遅れたが、12年に決定的な物証を得て逆転勝利を果たした。

悲願百年、三度目の正直
 日本は過去に二度、新元素の発見を逃している。元東北大総長の小川正孝博士は明治41年、鉱石から43番を発見したとして「ニッポニウム」と命名したが、後に別の元素と判明し周期表から削除された。
 昭和15年には理研の仁科芳雄博士が93番の存在を加速器実験で示したが、検出には至らなかった。理研の加速器は戦後、原爆製造用と誤認した連合国軍総司令部(GHQ)によって破壊され、日本の原子核研究は大きく立ち遅れた。「三度目の正直」となった113番は、日本にとって100年越しの悲願成就だ。
 仁科研究室は実験装置を手作りして、最高の成果を出すのが伝統だった。その精神を受け継いだ森田氏。初の新元素を手作りの装置で実現させた。「尊敬する仁科先生が追い掛けた夢をかなえることができて、うれしい」と話す。
 森田氏が長年続けてきた初詣の賽銭(さいせん)は113円。「今年はこれが最後かと思うと実に感慨深かった」。チームはもっと難しい120番の発見を次の目標に掲げている。共に歩んだ森本氏は元日、理研近くの神社で120円を投げ入れ、新たな闘志を燃やした。

お賽銭に120円を投げ入れましたという一番最後の一文がいいですね。
次の目標を120番の元素、この未発見の元素の暫定名称ウンビニリウムに定めたようです。もちろん日本が頑張って発見に至れば命名権を与えられます。
113番がジャポニウムだとすると、次はヤマチウム、シキシミウム、アキツシミウムとかいかがでしょうか。





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