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あれから5年
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あれから5年目です。
5年前、ブログ主はちょうど昼休みから戻ってきたときで、
会社の玄関前で長い長い揺れを感じて立ち止まっていて、
その間に社内から何人かあわてて出てきていました。
社内では机やロッカーの荷物が散乱していました。
その後、東北で大地震が発生したということを知って大事だと少しずつわかるのですが、
広範囲で電車が止まってしまいむしろ都内は時間が経つごとに混乱の度合いを深めていきました。
それでも特亜のように暴動など起きることもなく
都内は歩いて帰宅する人が波を作っていました。
ブログ主も歩いて帰っていた一人でした。
当時は石原都知事、副知事として猪瀬直樹という体制でした。
猪瀬氏は都で管理している施設を次々と避難用に開放させるなどして事態にあたっていました。
猪瀬氏は都の職員に指示を出しつつ
自身のツイッターで避難情報を深夜になっても流し続けていました。
一方、福島では原発の冷却機能が停止したためにこれを冷却する必要がありましたが、
津波によって予備の発電機が流されてしまっていたため、
さらなる発電機などを別途用意して冷却する必要が生じました。
官邸では菅直人が遅れて原子力緊急事態宣言を行いました。
この宣言によって権限も責任も官邸に一本化されたはずでしたが、
その後、菅直人と枝野、細野、福山らの側近たちが
徹底的に東電に責任を押し付けたのはみなさんもご存知のとおりです。
そして官僚たちは2年前の麻生内閣のときに行われた原子力防災訓練(しかもこれは福島第一)
および5ヶ月前に行われた菅内閣の原子力防災訓練があり、
特に麻生内閣のときのマニュアルを用意して指示を待っていたでしょう。
ところが、菅内閣では原子力防災訓練に参加していた菅内閣一同が
全員この訓練の内容どころか訓練をやったことすら忘れていた程度で、
特にそのまま再利用できる内容だった麻生内閣のときの原子力防災マニュアルを完全無視し、
SPEEDIの情報も無視し、
あの「同心円」での避難区域設定を思いつきで命令しました。
民主党政権は発足当初から「民主党議員以外を排除」という姿勢が露骨で
そのために中央防災会議を全く開きませんでした。
また原子力防災訓練を行った際は経産大臣が責任者となって
訓練の総括を行い、改善点などをまとめた上でマニュアル化しなければならなかったのですが、
菅内閣はこれもサボっていました。
当時の経産大臣は海江田です。
原子力防災マニュアルでは避難区域の指定についてSPEEDIの情報を利用することとしていましたが、
原子力防災訓練を自分たちがやっていたことすらすっかり忘れていた菅内閣には
そこに考えが及ぶことなどありませんでした。
さらに、菅内閣は先日公開された斑目委員長の当時のことを暴露する漫画にあるとおり、
官僚が助言を行おうとしてもそれを知ったかぶりでぶった切り、あるときは拒否し、
あるときは一方的に知ったかぶりで命令を出すというのが常態化していました。
民主党政権発足直後に岡田克也が官僚の同席を一切許さずに
民主党の閣僚だけで話を決めるということを始めたのですが、
この悪癖はその後も改善されることなく続いていました。
鳩山内閣で鳩山内閣の閣僚から頓珍漢な指示が出され、
後からあわてて方針変更されたりが繰り返されたのは
官僚の持つ情報を一切使わず、無知無能な民主党閣僚だけで話を決めて命令を出し、
官僚側からその命令の実現不可能さを説明されて渋々方針変更するということが繰り返されていたからです。
特に菅直人はそれがひどく、
官僚が総理が選択し指示を出すという状態まで絞り込んで案を持っていくと
「俺に判断させるな!」
と逆切れするという状態でした。
判断し責任を負うのが上に立つ人間のする仕事です。
ですが「いかにして責任を回避するか」ということ優先してきた民主党の面々は
(特に菅直人は第四列目の男といわれ、責任から逃れることに関しては何よりも優先に生きてきた)
大臣という肩書きや権力は大好きでも責任はつねに転嫁する相手を探し続けていました。
これではせっかく優秀な官僚がそろっていたところで機能するはずがありませんでした。
そして菅内閣によって東日本大震災の被害は拡大。
また、福島第一も自身がマッカーサーのように降り立って格好付けるパフォーマンスで
支持率を一気に逆転させようという菅直人のたくらみなのか
とにかく菅直人は福島での作業を一時的に停止させてまで
前日の22:30頃に官邸に送られていたSPEEDIの
「6:00頃は真西からの風なので福一の西側を飛べばたとえ放射性物質を放出していても浴びることは無い」
という情報を利用してヘリ視察を強行しました。
(実際に菅直人のヘリ視察は福一の西側を飛んでいたことがはっきりしています)
そして民主党政権の低支持率をひっくりかえす一発逆転のチャンスと考えたのは
マスゴミも同じだったでしょう。
ヘリコプターには記者クラブが用意したカメラを渡された元TBSの下村健一参与が同乗しました。
(記者クラブがビデオカメラを用意したこと、下村健一がそれを持って同乗したことは当時補佐官だった寺田学議員が語っています)
そして菅直人は彼がキメ顔だと思い込んでいる便所で気張っているときの表情を作って
ヘリから降りて登場しました。
菅直人の福一登場のシーンの撮影は内閣広報室が行いました。
斑目委員長が先日公開した漫画でこの当時のことを
菅直人が福一へ降り立つシーンの撮影の間は
他の同乗者は動かないように指示されていたことをバラしています。
そして菅直人らの妨害によって不可逆的な状態に追い込まれた福一は水素爆発を起こしました。
原発の燃料棒というのは直径9ミリ、高さ10ミリ程度のペレットが
ジルコニウムのパイプの中に積み上げられているものです。
ペレットが発熱をするのでこの燃料棒を大量の水で冷やしており、
過熱状態になると水蒸気が大量に発生し、の圧によって冷却水を送り込んでも、
燃料棒の上のほうは水面が下がってしまってむき出しの状態となってしまいます。
そこで圧を下げるために「ベント」で吐き出させる必要があります。
そのことは3月11日の22:40頃に原子力安全・保安院が官邸に説明しており、
そのベントをさせなければならない時限まで説明していました。
菅直人が貴重な時間を現地ヘリ視察によってつぶしたことで
ベントが間に合わずに取り返しがつかなくなりました。
過熱状態で冷却がおいつかなければ燃料棒はどんどん温度が上がってしまいます。
そして1000度あたりからジルコニウムは
周囲の水から酸素を奪ってニ酸化ジルコニウムとなっていきます。
このときに水素が発生します。
水素爆発の原因はここにあります。
ただし、二酸化ジルコニウムは緻密な構造をしており、
この時点では二酸化ジルコニウムが燃料棒の表面をラップでくるんだような状態となっていたと想定されます。
さらに過熱を続ける燃料棒では、1852度でジルコニウムの融点となります。
二酸化ジルコニウムの融点は2715度です。
この差によって今度は燃料棒の中のジルコニウムが溶け落ち、
燃料ペレットを二酸化ジルコニウムの膜が包むような形となっていたと想定されます。
ここに後から遅れて冷却を行って水が再び戻ってきたとします。
今度は急速な冷却により二酸化ジルコニウムの皮膜が損傷し燃料ペレットとともに崩れおちるでしょう。
さて、話がちょっとそれてしまったので戻ります。
燃料棒が水面から上にむき出しとなって過熱状態となる事を回避していれば
不可逆な状態への移行は回避できたわけです。
そのためにベントが早い段階で必要だったわけです。
ところが、菅直人、枝野らはベントどころか
翌日早朝のヘリ視察というのを急遽思いついてそちらを優先させました。
福島の事故は間違いなく人災です。
菅直人が安倍首相をデマを流したなどとして訴えていた件では
菅直人の主張のほうこそ事実無根だと棄却され、
むしろ菅直人と当時の側近たち(枝野、福山、細野ら)が保身のためにデマを流していたことまで認定されました。
そのため産経以外ではこの件についてまともに取り上げていません。
たとえば日テレが当時、菅直人を英雄に仕立てようとした再現ドラマと称する創作ドラマを流したり、
マスゴミお得意のメディアスクラムで官邸にあるはずの責任を徹底的に東電に転嫁したりなど
当時の偏向、捏造報道を自分たちでその偏向ぶりを裏付ける事になるため
まともに報じないのでしょう。
その後、民主党は福島の風評被害を広げ続けました。
そして反原発を扇動し続けるマスゴミもまた福島の風評被害を今でも広げ続けています。
1ミリシーベルトなんて基準にはなんの根拠もありませんでしたが、
「根拠が無いことを示せ!」
と民主党に言われて丸川議員は謝罪してしまいました。
福島の風評被害を拡大させたこの1ミリシーベルトにはろくな根拠はありませんでした。
この数値をろくな根拠なしに決めたのが細野モナ男でした。
いまだ福島はマスゴミによって悪用され、
また民主党や共産党、そして極左にとって悪用され続けており、
それらが風評被害を拡大させ続けています。
(中核派に至っては風評被害を広げることで福島の人たちの生活を追い込み、不満を高め、それを組織拡大に利用している実態を公安調査庁が報告しています)
むしろ厳しいチェックを受けなければならない福島の農産物は
それゆえに他県よりもはるかに安全と言ってよい状態になっています。
震災復興が進んでいないなどと野党の連中は叫んでいますが、
民主党や共産党などの反日野党とマスゴミの存在こそが震災復興の障害です。
被災直後に取り残された人たちの救出を後回しにして
支持率回復狙いの現場視察パフォーマンスにリソースを使いましたが、
菅直人が使っていたリソースを被災地に取り残された人たちの救助に使っていたら
何百名か、何十名かもしれませんがそれでも救えた命はあったはずです。
民主党の無計画な避難指示などで取り残される人たちが出て
それによって亡くなった人たちが出たというのが彼らの残した結果でした。
菅直人はダボス会議の時には政府専用機を移動に使っていました。
当時、エジプトの動乱に巻き込まれ取り残された邦人輸送のために政府専用機を使うことはせず
政府専用機で日本へ戻ってきました。
政府専用機は緊急時の邦人輸送という任務も持っているのです。
政府専用機をカイロに回して菅直人は民間機をチャーターして帰ってくればよかったでしょう。
ですが、自分さえよければいい菅直人は
邦人救出よりも自分たちが快適に帰ってくることを優先させました。
その後の野田内閣でも
災害が発生して死者まで出ているのに
自分が予定通り休暇をとることを優先して、
しっかり丸2日休んだ後で遅れて行動を始めたり等、
民主党の人命軽視は見るに耐えないレベルでした。
「政治家なんて誰がやっても一緒だ」などと言って
ろくに知ろうともせずに政治を軽視する人が少なくありませんが、
馬鹿を選ぶと被害が生まれ、国民がその被害者となります。
政治はゲームのようにリセットできるものではありません。
政治は結果に直接つながるのです。
政治にお試しなど存在しません。
そこに「一度お試しさせればいいんだよ」と国民に刷り込んだのがマスゴミであり民主党です。
これこそがまさにヒトラーが解散選挙でナチスを大躍進させ
独裁政権を作った手法でした。
Deutsches Volk, gib uns vier Jahre Zeit, dann richte und urteile uber uns!
(ドイツ国民よ、我々に4年の歳月を与えよ、然るのちに我々を判断せよ!)
1933年の解散選挙のときのこのヒトラーの演説こそ
民主党の
「一度犯らせてください。だめだったらまた変えればいいんです」
そのものでしょう。
ヒトラーの手法を真似て政権を取り、日本を焼け野原にさせようとしたものの
党内の権力闘争によって野田がやけくそ解散したことでぎりぎり日本は生き残りました。
あれが4年続いていたら取り返しのつかない状態となっていたでしょう。
民主党が無能で内ゲバ体質だったのは幸運でした。
過ちを繰り返さないために
私たち国民は賢くならなければなりません。
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5年前、ブログ主はちょうど昼休みから戻ってきたときで、
会社の玄関前で長い長い揺れを感じて立ち止まっていて、
その間に社内から何人かあわてて出てきていました。
社内では机やロッカーの荷物が散乱していました。
その後、東北で大地震が発生したということを知って大事だと少しずつわかるのですが、
広範囲で電車が止まってしまいむしろ都内は時間が経つごとに混乱の度合いを深めていきました。
それでも特亜のように暴動など起きることもなく
都内は歩いて帰宅する人が波を作っていました。
ブログ主も歩いて帰っていた一人でした。
当時は石原都知事、副知事として猪瀬直樹という体制でした。
猪瀬氏は都で管理している施設を次々と避難用に開放させるなどして事態にあたっていました。
猪瀬氏は都の職員に指示を出しつつ
自身のツイッターで避難情報を深夜になっても流し続けていました。
一方、福島では原発の冷却機能が停止したためにこれを冷却する必要がありましたが、
津波によって予備の発電機が流されてしまっていたため、
さらなる発電機などを別途用意して冷却する必要が生じました。
官邸では菅直人が遅れて原子力緊急事態宣言を行いました。
この宣言によって権限も責任も官邸に一本化されたはずでしたが、
その後、菅直人と枝野、細野、福山らの側近たちが
徹底的に東電に責任を押し付けたのはみなさんもご存知のとおりです。
そして官僚たちは2年前の麻生内閣のときに行われた原子力防災訓練(しかもこれは福島第一)
および5ヶ月前に行われた菅内閣の原子力防災訓練があり、
特に麻生内閣のときのマニュアルを用意して指示を待っていたでしょう。
ところが、菅内閣では原子力防災訓練に参加していた菅内閣一同が
全員この訓練の内容どころか訓練をやったことすら忘れていた程度で、
特にそのまま再利用できる内容だった麻生内閣のときの原子力防災マニュアルを完全無視し、
SPEEDIの情報も無視し、
あの「同心円」での避難区域設定を思いつきで命令しました。
民主党政権は発足当初から「民主党議員以外を排除」という姿勢が露骨で
そのために中央防災会議を全く開きませんでした。
また原子力防災訓練を行った際は経産大臣が責任者となって
訓練の総括を行い、改善点などをまとめた上でマニュアル化しなければならなかったのですが、
菅内閣はこれもサボっていました。
当時の経産大臣は海江田です。
原子力防災マニュアルでは避難区域の指定についてSPEEDIの情報を利用することとしていましたが、
原子力防災訓練を自分たちがやっていたことすらすっかり忘れていた菅内閣には
そこに考えが及ぶことなどありませんでした。
さらに、菅内閣は先日公開された斑目委員長の当時のことを暴露する漫画にあるとおり、
官僚が助言を行おうとしてもそれを知ったかぶりでぶった切り、あるときは拒否し、
あるときは一方的に知ったかぶりで命令を出すというのが常態化していました。
民主党政権発足直後に岡田克也が官僚の同席を一切許さずに
民主党の閣僚だけで話を決めるということを始めたのですが、
この悪癖はその後も改善されることなく続いていました。
鳩山内閣で鳩山内閣の閣僚から頓珍漢な指示が出され、
後からあわてて方針変更されたりが繰り返されたのは
官僚の持つ情報を一切使わず、無知無能な民主党閣僚だけで話を決めて命令を出し、
官僚側からその命令の実現不可能さを説明されて渋々方針変更するということが繰り返されていたからです。
特に菅直人はそれがひどく、
官僚が総理が選択し指示を出すという状態まで絞り込んで案を持っていくと
「俺に判断させるな!」
と逆切れするという状態でした。
判断し責任を負うのが上に立つ人間のする仕事です。
ですが「いかにして責任を回避するか」ということ優先してきた民主党の面々は
(特に菅直人は第四列目の男といわれ、責任から逃れることに関しては何よりも優先に生きてきた)
大臣という肩書きや権力は大好きでも責任はつねに転嫁する相手を探し続けていました。
これではせっかく優秀な官僚がそろっていたところで機能するはずがありませんでした。
そして菅内閣によって東日本大震災の被害は拡大。
また、福島第一も自身がマッカーサーのように降り立って格好付けるパフォーマンスで
支持率を一気に逆転させようという菅直人のたくらみなのか
とにかく菅直人は福島での作業を一時的に停止させてまで
前日の22:30頃に官邸に送られていたSPEEDIの
「6:00頃は真西からの風なので福一の西側を飛べばたとえ放射性物質を放出していても浴びることは無い」
という情報を利用してヘリ視察を強行しました。
(実際に菅直人のヘリ視察は福一の西側を飛んでいたことがはっきりしています)
そして民主党政権の低支持率をひっくりかえす一発逆転のチャンスと考えたのは
マスゴミも同じだったでしょう。
ヘリコプターには記者クラブが用意したカメラを渡された元TBSの下村健一参与が同乗しました。
(記者クラブがビデオカメラを用意したこと、下村健一がそれを持って同乗したことは当時補佐官だった寺田学議員が語っています)
そして菅直人は彼がキメ顔だと思い込んでいる便所で気張っているときの表情を作って
ヘリから降りて登場しました。
菅直人の福一登場のシーンの撮影は内閣広報室が行いました。
斑目委員長が先日公開した漫画でこの当時のことを
菅直人が福一へ降り立つシーンの撮影の間は
他の同乗者は動かないように指示されていたことをバラしています。
そして菅直人らの妨害によって不可逆的な状態に追い込まれた福一は水素爆発を起こしました。
原発の燃料棒というのは直径9ミリ、高さ10ミリ程度のペレットが
ジルコニウムのパイプの中に積み上げられているものです。
ペレットが発熱をするのでこの燃料棒を大量の水で冷やしており、
過熱状態になると水蒸気が大量に発生し、の圧によって冷却水を送り込んでも、
燃料棒の上のほうは水面が下がってしまってむき出しの状態となってしまいます。
そこで圧を下げるために「ベント」で吐き出させる必要があります。
そのことは3月11日の22:40頃に原子力安全・保安院が官邸に説明しており、
そのベントをさせなければならない時限まで説明していました。
菅直人が貴重な時間を現地ヘリ視察によってつぶしたことで
ベントが間に合わずに取り返しがつかなくなりました。
過熱状態で冷却がおいつかなければ燃料棒はどんどん温度が上がってしまいます。
そして1000度あたりからジルコニウムは
周囲の水から酸素を奪ってニ酸化ジルコニウムとなっていきます。
このときに水素が発生します。
水素爆発の原因はここにあります。
ただし、二酸化ジルコニウムは緻密な構造をしており、
この時点では二酸化ジルコニウムが燃料棒の表面をラップでくるんだような状態となっていたと想定されます。
さらに過熱を続ける燃料棒では、1852度でジルコニウムの融点となります。
二酸化ジルコニウムの融点は2715度です。
この差によって今度は燃料棒の中のジルコニウムが溶け落ち、
燃料ペレットを二酸化ジルコニウムの膜が包むような形となっていたと想定されます。
ここに後から遅れて冷却を行って水が再び戻ってきたとします。
今度は急速な冷却により二酸化ジルコニウムの皮膜が損傷し燃料ペレットとともに崩れおちるでしょう。
さて、話がちょっとそれてしまったので戻ります。
燃料棒が水面から上にむき出しとなって過熱状態となる事を回避していれば
不可逆な状態への移行は回避できたわけです。
そのためにベントが早い段階で必要だったわけです。
ところが、菅直人、枝野らはベントどころか
翌日早朝のヘリ視察というのを急遽思いついてそちらを優先させました。
福島の事故は間違いなく人災です。
菅直人が安倍首相をデマを流したなどとして訴えていた件では
菅直人の主張のほうこそ事実無根だと棄却され、
むしろ菅直人と当時の側近たち(枝野、福山、細野ら)が保身のためにデマを流していたことまで認定されました。
そのため産経以外ではこの件についてまともに取り上げていません。
たとえば日テレが当時、菅直人を英雄に仕立てようとした再現ドラマと称する創作ドラマを流したり、
マスゴミお得意のメディアスクラムで官邸にあるはずの責任を徹底的に東電に転嫁したりなど
当時の偏向、捏造報道を自分たちでその偏向ぶりを裏付ける事になるため
まともに報じないのでしょう。
その後、民主党は福島の風評被害を広げ続けました。
そして反原発を扇動し続けるマスゴミもまた福島の風評被害を今でも広げ続けています。
1ミリシーベルトなんて基準にはなんの根拠もありませんでしたが、
「根拠が無いことを示せ!」
と民主党に言われて丸川議員は謝罪してしまいました。
福島の風評被害を拡大させたこの1ミリシーベルトにはろくな根拠はありませんでした。
この数値をろくな根拠なしに決めたのが細野モナ男でした。
いまだ福島はマスゴミによって悪用され、
また民主党や共産党、そして極左にとって悪用され続けており、
それらが風評被害を拡大させ続けています。
(中核派に至っては風評被害を広げることで福島の人たちの生活を追い込み、不満を高め、それを組織拡大に利用している実態を公安調査庁が報告しています)
むしろ厳しいチェックを受けなければならない福島の農産物は
それゆえに他県よりもはるかに安全と言ってよい状態になっています。
震災復興が進んでいないなどと野党の連中は叫んでいますが、
民主党や共産党などの反日野党とマスゴミの存在こそが震災復興の障害です。
被災直後に取り残された人たちの救出を後回しにして
支持率回復狙いの現場視察パフォーマンスにリソースを使いましたが、
菅直人が使っていたリソースを被災地に取り残された人たちの救助に使っていたら
何百名か、何十名かもしれませんがそれでも救えた命はあったはずです。
民主党の無計画な避難指示などで取り残される人たちが出て
それによって亡くなった人たちが出たというのが彼らの残した結果でした。
菅直人はダボス会議の時には政府専用機を移動に使っていました。
当時、エジプトの動乱に巻き込まれ取り残された邦人輸送のために政府専用機を使うことはせず
政府専用機で日本へ戻ってきました。
政府専用機は緊急時の邦人輸送という任務も持っているのです。
政府専用機をカイロに回して菅直人は民間機をチャーターして帰ってくればよかったでしょう。
ですが、自分さえよければいい菅直人は
邦人救出よりも自分たちが快適に帰ってくることを優先させました。
その後の野田内閣でも
災害が発生して死者まで出ているのに
自分が予定通り休暇をとることを優先して、
しっかり丸2日休んだ後で遅れて行動を始めたり等、
民主党の人命軽視は見るに耐えないレベルでした。
「政治家なんて誰がやっても一緒だ」などと言って
ろくに知ろうともせずに政治を軽視する人が少なくありませんが、
馬鹿を選ぶと被害が生まれ、国民がその被害者となります。
政治はゲームのようにリセットできるものではありません。
政治は結果に直接つながるのです。
政治にお試しなど存在しません。
そこに「一度お試しさせればいいんだよ」と国民に刷り込んだのがマスゴミであり民主党です。
これこそがまさにヒトラーが解散選挙でナチスを大躍進させ
独裁政権を作った手法でした。
Deutsches Volk, gib uns vier Jahre Zeit, dann richte und urteile uber uns!
(ドイツ国民よ、我々に4年の歳月を与えよ、然るのちに我々を判断せよ!)
1933年の解散選挙のときのこのヒトラーの演説こそ
民主党の
「一度犯らせてください。だめだったらまた変えればいいんです」
そのものでしょう。
ヒトラーの手法を真似て政権を取り、日本を焼け野原にさせようとしたものの
党内の権力闘争によって野田がやけくそ解散したことでぎりぎり日本は生き残りました。
あれが4年続いていたら取り返しのつかない状態となっていたでしょう。
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