撃墜王と海軍エースパイロット激白「日本の空を守るという気持ちしかなかった」…大東亜戦争を語り継ぐ会で井上和彦氏とトークライブ
戦争について語る(左から)井上和彦氏と笠井智一、本田稔氏=10日午後、大阪市北区の中央公会堂(宮沢宗士郎撮影)
大勢の人たちが詰めかけた「大東亜戦争を語り継ぐ会」=10日午後、大阪市北区の中央公会堂(宮沢宗士郎撮影)
本紙「正論」欄執筆メンバーで軍事ジャーナリストの井上和彦氏と、元海軍パイロット2人によるトークライブ「大東亜戦争を語り継ぐ会」(主催・産経新聞月刊「正論」、協賛・大阪冶金興業)が10日、大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた。
出演したのは、終戦直前の昭和19年に本土防空戦の切り札として編成された精鋭部隊「第343海軍航空隊(通称「剣部隊」)のパイロット、本田稔氏と笠井智一氏。
井上氏は「命をかけて母国を守った2人の証言を、ぜひとも胸に納めてください」と訴えた。ラバウル航空隊などに所属し、最前線で米軍機と闘った“撃墜王”こと本田氏は、今の日本について「自信をもって自分の主張をはっきりと出してもらいたい」と話した。
また、特攻隊の直掩任務(=敵の攻撃から特攻機を守る任務)で同期の最後の勇姿を見届けてきた“エースパイロット”こと笠井氏は、「同期も私も、日本の空を守るという気持ちしかなかった」と話した。
自身の体験談として大東亜戦争を語れる人がどんどん少なくなっています。
私の少年時代には毎夜聴いていたラジオで歌「あ~あ、堂々の輸送船」『暁に祈る』で始まる番組(名は分かりません)で一般の人の戦記をどんどん放送していました。
雑誌『丸』も戦記で溢れていました。
軍隊帰りの教師ども(見事にみんな日教組)も自分の体験を話していました。
いまも「語り部」と称する人達がいるようです、子供たちに「体験」を話しているとか。
でも何だかあやしい。それにしては歳が若かったり、本で読んだ内容を「体験」として話していたり。軍隊のことを何も知らない人だったり。
これらに共通することは、結局は憲法第九条に話しを帰結するために、悲惨さを強調するあまり嘘っぽくなるのです。
いまでは歌われない唱歌『冬の夜』の、さらに省略されたり改変されたりしている二番を見てみましょう。
1番 燈火ちかく衣縫ふ母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞへて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞへて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
2番 囲炉裏の端に繩なふ父は
過ぎしいくさの手柄を語る (過ぎし昔の思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
過ぎしいくさの手柄を語る (過ぎし昔の思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪
「過ぎし昔の思い出語る」では歌は駄作になります。
拳を握って聞き入る様子と屋外の静けさを対比させた名作だと思います。
私の友達のお父さんは私に手招きして、小箱に入った大切な物を見せて一言。
「これで3人やっつけた。」その手柄で一等兵から上等兵に昇進した誇りの証の機関銃弾だったのです。
戦争は実に多様な面があります。
そのどれもがありのままに語り継がれますように。
そして、戦ってくださった先人のみなさま、ありがとうございます。