人間国宝の狂言師、茂山千作さん死去 狂言界で初の文化勲章受章者
2013.5.23 11:45
狂言界の第一人者として活躍した大蔵流狂言師で文化勲章受章者、人間国宝の茂山千作(しげやま・せんさく、本名・七五三=しめ)さんが23日午前0時15分、肺がんのため京都市内の自宅で死去した。93歳。通夜は26日午後7時、葬儀・告別式は27日午後1時、京都市左京区黒谷町121、金戒光明寺で。喪主は長男、千五郎(せんごろう、本名・正義=まさよし)氏。
大正8(1919)年、三世茂山千作さんの長男として京都に生まれ、13年に「以呂波(いろは)」のシテで初舞台。昭和41年に当主名である十二世茂山千五郎を襲名し、天衣無縫の芸と圧倒的な芸格で親しまれた。
戦後、狂言界が低迷するなか、父や弟の千之丞(せんのじょう)さん(平成22年死去)とともに学校巡演を積極的に行った。昭和29年には武智鉄二さん演出の「東は東」で女優と共演。その後も千之丞さんとともに異流派とも共演するなど、当時の能楽界のタブーを破りながらも狂言の普及に努めた。
平成元年に人間国宝となり、3年に日本芸術院会員。6年には長男に千五郎の名前を譲り、自身は隠居名の四世千作を襲名。その後も精力的に舞台に立ち、19年に狂言界初の文化勲章を受章した。
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私事になりますが、私は共産党の牙城である京都で生まれ育ち、学校は日教組の巣窟でした。
政治に早熟だった私は、ただ耐えて耐える小・中・高の生活でした。
この頃の暗い日々の思い出は、拙ブログに「私事」の書庫に記事を入れてあります。
しかし大学に入れば、もうこっちのものです。
日本を否定した日教組、日本文化を蔑んだ日教組の真逆をやりたくて、さっさと「能楽部」に飛び込みました。
私が存じ上げている茂山千作師は、当時は千五郎を名乗っておられた頃で、先代の千作師もご健在でした。
私は能楽の世界で、それも学生のクラブ活動。能会を見に行って、能の合い間に演じられる狂言も楽しんだものです。
狂言にはこの「楽しむ」という語がぴったりです。
能と違って狂言師の発声はよく聞き取れます。面白い箇所では声を出して笑えばいいです。
下に茂山千作師が演じる狂言の動画を貼りました。
狂言「素枹落」(すおうおとし)
あなたが動画を見て笑ってくだされば、千作師もきっと大喜びでしょう。
その瞬間、日本の伝統文化のひとつが現代人に伝わるのです。
素枹落其の一
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(以上、記事本体)
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