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天武・持統天皇陵は「八角形」 宮内庁、半世紀前の資料を公開

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天武・持統天皇陵は「八角形」 宮内庁、半世紀前の資料を公開

2013.5.24 21:07(産経)
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天武・持統天皇陵=24日午後、奈良県明日香村(本社ヘリから、門井聡撮影)
 
 飛鳥時代に天皇中心の律令国家を築いたとされる天武天皇と妻の持統天皇を葬ったとして宮内庁が指定する天武・持統天皇陵(奈良県明日香村、7世紀後半)が、石を整然と積み上げた八角形の古墳だったことが同庁の調査で24日分かった。墳丘は、頂上部が尖(とが)る仏塔(ストゥーパ)のような構造と推定され、国造りに仏教を取り入れた両天皇の姿をうかがわせる。同天皇陵については鎌倉時代の記録しかなく、ベールに包まれた天皇陵の研究の重要な資料になりそうだ。
 
 同庁は昭和34、36年、墳丘に生い茂る木の根の影響などを調べるため一部を発掘したが、調査が不十分だったこともあり、調査成果は半世紀以上公表していなかった。昨年、一部報道機関が調査記録を情報公開請求して報道。同庁は「不十分な情報が一人歩きしかねない」とし、村教委が、天武天皇の母・斉明天皇の墓とされる牽牛子塚(けんごしづか)古墳の発掘調査報告書を刊行するのに合わせ、同書で異例の公表となった。
 
 当時の調査では、墳丘基壇部に一辺50~60センチの凝灰岩を八角形状に3列に並べ、墳丘斜面もブロック状に加工した凝灰岩が張られていたことが判明。同庁は今回改めて資料を精査し、対角長は約37メートルで高さ7・7メートル、墳丘は基壇を含めた5段構造で、最上段だけ特に高く、寺院の仏塔のような構造だったと推定した。
 
 天皇陵などの調査は通常、同庁が年1回発行する「書陵部紀要」で報告されるが、詳細な状況が不明だったことから見送られていた。しかし、村教委が牽牛子塚古墳の調査報告書作成にあたり、同庁に天武・持統天皇陵など八角形の古墳について解説文を依頼し、写真とともに掲載された。福尾正彦・同庁陵墓調査官は「いずれ公表するべきだと考えていたが、この機会にできるだけ詳細な内容になるよう心がけた」と説明した。
 
 八角形の古墳は、天皇即位など重要な儀式で用いられる高御座(たかみくら)が八角形で、その関連も指摘され、飛鳥時代は天皇陵に限られるとされる。約1・5キロ離れた牽牛子塚古墳も八角形で、共通性が指摘されている。
 
 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話「きっちりした情報を国民に知ってもらおうという宮内庁の姿勢は評価でき、資料にも説得力がある。墳丘がストゥーパ状というのは仏教思想の影響ともみられ、新しい国造りを進めた天武天皇自らの意志で陵墓に新しい発想を取り入れたのかもしれない」
 
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この解説記事が歴史学者の倉西裕子さまによってアップされています。
 

 
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