【現代に生きる神話 祭られる神々】
第1部<天地の始まり>(上)
2014.2.23 11:00(産経)
□天之御中主神
古事記の冒頭、一番初めに語られる神。イザナキノミコトとイザナミノミコトのような一対の男女神ではなく、「独神」であるとされ、その姿を明らかにしていない。
日本書紀では、本文に「一書(あるふみ)に曰(いわ)く」で添えられた異聞の中にのみ登場。天地が初めて分かれた際の記述で、〈高天原に生(な)れる神、名づけて天御中主尊と曰(まお)す〉と書かれている。
5柱の特別の神、別天(ことあま)つ神の1柱で、秩父神社(埼玉)のほか、タカミムスヒノカミ、カムムスヒノカミとともに四柱神社(長野)などに祭られている。
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再び日本古来の神に
〈天地(あめつち)初めて発(ひら)くる時に、高天原(たかまがはら)に成りませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)〉
天地の創成を語る古事記の冒頭で、アメノミナカヌシはこう記される。八百万(やおよろず)の神の中で最初に登場する神であるにもかかわらず、誕生してすぐに姿を隠し、その後触れられることはない。続いて成ります高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かむむすひのかみ)が国造り、国譲り神話で度々登場するのと対照的である。
JR総武線千葉駅から歩いて10分、朱塗りの大きな社殿を持つ千葉神社(千葉市)の祭神は「天之御中主大神」。古事記では謎に包まれたままのアメノミナカヌシだ。
同神社は「厄除け開運」や、方位方角に関する災いを避ける「八方除け」に利益があると、関東を中心に広く知られている。
「最近では、厄年の若い女性が連れだってご祈祷(きとう)に訪れる姿も見られます」
そう話す禰宜(ねぎ)の山本陽徳(あきのり)氏は、こうも言う。
「当社のご祭神は天之御中主大神さまというより、『妙見さま』の名で知られているのではないでしょうか」
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現在、アメノミナカヌシといわれるこの神の古くからの名前は「北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)」だ。古代から方角を知る基準だった北辰(北極星)とその周りを回る北斗七星を神格化した存在で、導きの神であり、人間の運命や全方位の守り神とされる。
北辰に対する信仰は、中国の道教の中にあり、それが古代日本に渡ってきたと考えられている。
「アメノミナカヌシノカミはその字でわかるように、天の中心にいる神。北辰とつながります。古事記が編纂(へんさん)されたとき、最先端だった中国の思想を取り入れ、神代の秩序を描いたのです」
佛教大の斎藤英喜教授はそう説明する。
妙見信仰とつながって日本に根付いたこの神を深く信仰したのが、千葉の地を治めた千葉氏だった。千葉氏の祖である平安時代中期の武将、平良文(たいらのよしぶみ)が妙見尊に祈願して常に戦に勝利したことから、守護神としてこの地に祭ったのが同神社の始まりである。
数ある妙見社のなかでも「妙見本宮」と冠され、勝ち星にも通じるとして武士の信仰を集めた。源頼朝も参詣し、武具や太刀などを奉納したほか、千葉家が勢力を弱めた後は徳川家に守られた。
明治に入り、神社と仏閣を分離する神仏分離令が出た際に、同神社は、記紀に登場するアメノミナカヌシを祭神とした。
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〈独神(ひとりがみ)と成り坐(ま)して、身を隠したまふ〉
古事記にこれだけしか書かれていないことが、アメノミナカヌシの存在感が薄い主因である。その存在に光が当たったのは江戸時代だ。国学者の平田篤胤(あつたね)らが、仏教や儒教の影響を受けていた神道を、古事記などを基に日本古来の形に戻そうとした「復古神道」の中で、その役割を見いだした。
「篤胤は、アメノミナカヌシを宇宙の創造神、根源神と解釈し、神仏分離に大きな影響を与えました」(斎藤教授)
日本の起源を伝える神話を軽視していたのは現代ばかりではない。古事記編纂後、大陸文化を受け入れた古代末から江戸期まで、日本人は神話を忘れていた。日本の神々を取り戻す試みは、アメノミナカヌシを祭ることから始まったのである。
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神話と日本人を考える連載は「日本人の源流 神話を訪ねて」に次ぐ第2弾に入ります。この連載では、神話が伝える神々がどんな役割を演じ、どんな姿で祭られているかを見ていくことで、日本人の精神とは何かを考えていきます。