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[転載] 美し国 日本 「京都二十四節気 春分」

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カマちゃん様のブログ『美し国(うましくに)』より転載させて頂きました。
 
(以下、転載記事)

美し国 日本 「京都二十四節気 春分」

[京都二十四節気] 春分




イメージ 1

古都・奈良に春を告げる東大寺二月堂(奈良市)の修二会(しゅにえ)も終わり美し国「日本」に春が訪れます。
美し国、四季のある国、日本。
桜が咲くこと、雨が降ること、紅葉が散ること、そして雪が降ること。

我々日本人は、往古の昔より、その美しい自然の変化を、つい百年前まで、二十四の季節に分けて愛でてきました。

私たの祖先が使ってきた旧暦の中では、二十四の季節に沿った年中行事や風習と共に、風雅な暮らしを楽しむ工夫や知恵がありまし­た。それと同時に、永遠にめぐる四季のなかで移ろい変わっていくものと、その変化の裏側にある不変のものを感じとり愛したのです。

古いものを捨て、新しいものがあふれていく現在社会のなかで、古くから日本にある伝統を見なおすこと。それは、移ろう季節のなかから不変のものを­みつけだすことと似ています。

ますます季節感が失われていくなかで、二十四節気の暦をつうじて、自然の変化を敏感に感じとれる繊細な感性と伝統の素晴らしさと­、それとともにある大切な文化をつたえていきたいものです。

その四季折々の美しさに触れるとき、自然のなかから生まれてくる、この国の美しさを改めて見つめ、「美」と「伝統」にめぐり逢え­る誇りとよころび、祖先・先人が大切にしてきたもの、それらを共有していきたいと筆者は願ってやまないのです。

昼夜の長さがほぼ同じになる日、新暦3月20日~4月3日頃を春分(しゅんぶん)と言います。
春、爛漫と咲き誇る桜は、今も昔も日本人を花見の遊山へと誘います。花見の宴を最初に­行ったのは、平安貴族だといわれます。もともとは中国から伝えられた梅を愛でる宴が開­かれていましたが、やがて日本土着の桜に人気が移り、桜の宴を行うようになりました。
さくら の 「さ」は 稲  「くら」 は 神座(かみくら)のくら で神さまがお座りになるところで、「さくら」 は田の神さまが宿る木と言われ、日本人が太古より桜を愛でた淵源とも言われています。
しかし日本には、それよりずっと以前から花見があったといわれます。農民たちは桜の木­の下に酒や食べ物を持ち寄り、花に宿った稲の霊を迎え、花の咲き具合で秋の実りを占っ­ていました。
現在の花見は、この貴族と農民の風習がもとになって生まれたとも考えられています。 
今も昔もさくらを愛でる日本人の慣習は変わっていません。
日の本の国がまだ神代の時代、富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる木之花咲耶姫(このはなさくやひめ:さくらのように美しい姫の意)は、日本最古の書、「古事記」に登場した女神です。そして、桜の語源は、一説によると、この「さくや」が転化したのではないかともいわれています。
美しい、世界に誇る桜の品種のほとんどが我が国にあり、このはなさくや姫の子ども達が「日の本の国」をところせましと咲き誇っています。

四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。

春分の日を中日とした前後3日ずつの7日間は、春のお彼岸です。
仏教では、悟りの境地・極楽浄土を「彼岸」、迷いや煩悩に満ちたこの世を「此岸」とい­います。かつて日本では、西の彼方にご先祖様のおられる極楽浄土があると信じられてい­ました。太陽が真西に沈む春分は、もっとも極楽浄土に近づけるとされ、この日に仏事が­行われるようになったといわれます。
昔から、春彼岸には「ぼたもち」を、秋彼岸には「おはぎ」を食べる慣わしがあります。­これは、春には牡丹が、秋には萩が咲くため、という説があります。往古の昔より、遠き祖先に思いを馳せ、生きとし生けるものに感謝し、伝統を紡いできた「美し国、日本」がここにあります。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)

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