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[転載] 日本の祭り、阿波おどり

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カマちゃん様のブログ『美し国(うましくに)』より転載させて頂きました。
 
(以下、転載記事)

日本の祭り、阿波おどり




日本のまつり、それは、日本古来の文化の伝承です。
祭りを運営する人、参加する人、そして見る人。
「まつり」年齢、性別、肩書き、身分の上下など関係なく、境界線を越え、人と人を結ぶ無心のエネルギーでした。
そしてこれらは今後も変わることなく無窮に続いていくのです。
「まつり」はすべての人がひとつになって夢中になれる唯一の文化といえましょう。
いま日本に必要なのは、そんな底知れぬ生命力に満ちた祭りの力と、一体感、人と人の心の絆、祖先・先人を敬愛し、皇室を崇め、天津神(あまつかみ)( 伊勢の大神宮)、国津神(くにつかみ)(氏神)、
森羅万象を司る八百万(やほろず)の神々に感謝をし、よりよい日本を後世に残し、日本のこころを後世に伝えることではないでしょうか?


 今回記事としました、「阿波おどり」の淵源は、400年前に遡ります。
阿波おどりの起源については、主に関西で盛んに踊られていた風流(ふりゅう)踊りとする説、お盆に亡くなった人のために踊った精霊(せいれい)踊りとする説、天正15年(1587)に徳島城の竣工を祝って踊られたとする説があります。これら3つの説のうち、通説となっているのは徳島城の完成にまつわる説です。当時の徳島藩藩主・蜂須賀家政(はちすかいえまさ)は徳島城の完成を祝うために城下に盛大に踊ってよいとお触れを出しました。そこで、徳島城下の町衆たちは、夜を徹して踊り明かしたことが現在の祭りの原型だといわれています。この祭りは誕生してから長い間、正式な名称なかったそうです。阿波おどりという名称で呼ばれるようになったのは、昭和4年に徳島市出身の日本画家・林鼓浪(はやしころう)氏に命名されてからのことで、以後、全国にその名が広まっていきました。

現在有名連といわれる連は、ほとんどが戦後に誕生しましたが、有名連と言われる連の中で一番元気な踊りを見せ、正調派と言われる、阿呆連の創立は昭和23年で、阿波おどり振興協会に所属する連の中では3番目に古い連です。
動画で踊っている阿呆連の踊りは、武士の踊りの流れをくむ自由奔放かつ豪快なところが最大の特徴で、提灯を持って暴れ踊ります。男性陣はほっかむりをして踊りますが、これは江戸時代に武士が身分を隠して踊るのにほっかむりをして顔を隠したことに由来しています。 
阿呆連の女踊りは女性らしい優雅さもありますが、上体をやや前傾しつつ、つま先で歩を進める差し足という独特のステップは、きびきびと力強く躍動感にあふれています。 
阿呆連の踊りの豪快さは、豪快奔放なだけではありません。いわゆる静と動の対比もみどころのひとつで、2拍子のリズムでテンポよく踊るときは豪快に、三味線と笛のゆったりとした旋律のときには静かに、そしてしなやかに踊ります。
阿波おどりの奴踊りの"奴"とは奴凧のことです。鳴門には「わんわん凧」という郷土凧があります。畳何畳敷分もあるような巨大な丸凧を大勢の人間が運動会の綱引きのように太い綱を引いて上げます。阿呆連の奴踊りは、その凧あげの様子や凧が風に吹かれて大空で自由奔放に舞う様子を踊りで表現したもので、昭和25年に考案された伝統のある踊りです。奴踊りは男性の踊りですが、阿呆連の女性たちは数ある連の中で唯一、連凧踊りといって、踊り手一人一人の踊りが一連の大奴凧になり大空へ舞い上がるという阿呆連ならではの女奴踊りを踊ります。 
一度阿波踊りを観るとその迫力、一糸乱れぬ踊りに日本人の人と人の「絆」、伝統を護っていこうとする保守の淵源が感じられます。

「阿波踊り」を見る時、古来より紡いできた男女の役割、古より男女が平等であったことが垣間見れます。
「仕掛けた踊りはやめられぬ!」が阿波おどりの掛け声ですが、まさに「仕掛けたまつりはやめられぬ」です。
まつりと共に、わが国も天壌無窮に続いていくのです。

先人、先祖が紡いできた伝統と共に・・・

天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳(せいじゅばんざい)


参考文献、ダイドードリンコ「日本の祭り」2011年の「阿波おどり」より出典、引用。

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