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[転載] 強烈な求心力

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理瀬さまのブログ『◆安倍晋三さん「美しい国づくり」・創生「日本」・救国ネット支持◆』より転載させて頂きました。
 
(以下、転載記事)

ケータイ投稿記事強烈な求心力

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■先月28日に日本維新の会が石原、橋下両共同代表のそれぞれの系統で分党するのを決定したことは、野党再編の気運と関係するでしょう。
「触媒政党」結いの党の江田代表は野党再編について「三段ロケット」と語り、第一段でみんなの党、第二段で維新、第三段で民主党をそれぞれ対象。
第一段では自らみんなの党を割って結いを結党、また第二段については維新分党がその号砲となり、そのうち当初から再編の対象に目していた橋下系が呼応していて合流が見通されていることから、第三段で見据えられる民主党で海江田代表の進退が焦点になっていることも必至だと言えるでしょう。
維新では石原系が「保守政党」(石原新党)、橋下系が「改革政党」(橋下新党)になっていくといいますが、それは旧太陽の党と大阪維新の会というそれぞれの原点への回帰であり、12年11月の両党の合流が無理筋だったことの帰結だということになるでしょうか。

ところで、大阪維新へは12年9月に旧日本創新党も合流しています。
維新では前杉並区長の山田筆頭副幹事長や前横浜市長の中田国対委員長代理という改革派首長OBがその出身で、両者は5月30日の『朝日新聞』朝刊では石原系と橋下系のいずれに参加するか未定とされていたものの、4日には石原新党への参加を表明。
維新では宮崎県知事として改革派首長だった東国原前衆院議員が13年12月の議員辞職の理由に旧太陽出身の藤井国会議員団総務会長と園田同幹事長代理への不満を挙げたように石原系と橋下系の相互不信が常に底流していましたが、では同じ改革派首長だった山田、中田両氏が石原系への参加を決定した背景には何があるのか、そこには安倍さんの存在を指摘することができるでしょう。
実は10年参院選直前の6月、安倍さんが会長を務める創生「日本」と、旧太陽の前身で維新の平沼国会議員団代表が率いていた旧たちあがれ日本、それに山田氏が代表だった旧創新党の三つの保守勢力は連携して「日本を救うネットワーク」(救国ネット)を結成しています。
すなわち、山田、中田両氏は橋下系と石原系に割れる維新にあって、改革派首長OBであると同時に救国ネットの一角の旧創新党出身という意味では中間派に位置づけて大過ないと言えるでしょうか。
ところで、石原氏は集団的自衛権の行使解禁や改憲論議といった安倍カラー政策に歩調を合わせていますが、その新党が政権に接近して「責任野党」になっていくことは目算してよいのでしょう。
そして、その中間派の両氏が石原新党に参加するということはすなわち両氏が改革派首長OBとしての属性より、救国ネット的な保守派としての属性を優先させたということになるでしょうか。
また、山田氏は石原氏と同じく東京が地元の前杉並区長で12年総選挙では19区で比例復活、中田氏は前横浜市長で12年総選挙では比例北信越単独当選であるものの96年総選挙では今は江田氏の地盤の神奈川8区から立候補して当選しているというようにいずれも地盤が関東で、維新の本拠地たる大阪とは離れていることも無関係ではないでしょう。
あるいは、維新の支持率が今や完全に低迷していることや、逆に高い支持率を維持する安倍自民党に対抗できる新たな勢力を野党再編によって築くことはそもそも難しいだろうという怜悧な判断もあったかもしれません。
山田、中田両氏の動向に関しては以上のようなことを考えられますが、中間派にも位置づけ得た両者が石原新党=責任野党を選んだことや、当初「10人台にとどまるとの見方があった」(『読売新聞』14.6.5-22:25)石原新党への参加者が23人にまで伸張したことには、安定政権を維持する安倍さんの強烈な求心力が作用したことを指摘したいと思います。

なお、石原新党には、13年5月に維新を除名された西村衆院議員や、新党改革の荒井代表が参加することも考えられるでしょうか。
西村氏は旧太陽系で保守色が強く、地盤は大阪ながら橋下系より石原系に近いことが間違いありません。
また荒井氏は自民党出身で郵政民営化に平沼氏などと同じく反対、05年10月に除名されているものの、安倍さんとは2月12日に公明党の赤羽経産副大臣や富田幹事長代理とともに会食しているように元来は距離が近く、16年7月の次期参院選で改選を迎えることもあり、こちらも石原新党に合流する素地があると言えるのでしょう。
従って、現在衆院で20人、参院で3人を見込まれる石原新党は、衆参でもう1人ずつ上積みされる可能性があると言えるのかもしれません。

■維新分党で俄かに流動的になった野党陣営において、安倍さんの強烈な求心力はみんなの党にも及んでいると言えます。
みんなの党では5月30日に浅尾代表、松沢、和田両参院議員、江口最高顧問の4人が維新石原系の山田氏と議連「自主憲法研究会」を結成。
議連では山田、松沢両氏が共同代表に就いていますが、「自主憲法研究会」という名称は維新分党の引き金になった石原氏の持論「自主憲法制定」に通じるのであり、それが山田氏を通じて石原氏にまで呼応した動きであることと、代表の浅尾氏も連名していることから石原新党とみんなの党という責任野党同士の接近の可能性が兆していることは指摘できるでしょう。
なお松沢氏はかつて民主党の衆院議員から神奈川県知事に転じて2期務めた改革派首長OBの一人で、11年3月には都知事だった石原氏の後継者に有力視されたことがあるのにはここで言及してよいでしょう。
また、みんなの党を12年9月に離党して維新に参加した桜内国会議員団政調会長代理や上野前同総務会長が石原系について再びみんなの党やあるいは政権との距離が近くなっているのも、両者の離党はそもそも今のリベラル系の野党再編とは関係なくむしろ保守勢力としての維新に参加したものだったことと、安倍さんの求心力が野党側にまで及んでいることから説明すれば、怪しむに足りません。

ところで、「石原新党」構想については11年秋に報じられたのが早いものだったと言えるでしょう。
それは旧国民新党の代表だった無所属の亀井元建設相のプロデュースによるものでしたが、それをみんなの党の渡辺前代表は当時、後述の異質な経済政策を指して「そういうものを保守と称して」いる「非常に後ろ向きの集団」と厳しく批判。
そこでは主には亀井氏の旧国民新党と平沼氏の旧たちあがれ日本が合併して石原氏を党首に戴くことが構想されていましたが、渡辺さんがそれを批判したのは、亀井、平沼両氏は05年夏の郵政政局で郵政民営化に反対して自民党を離れたように「大きな政府」志向で、一方渡辺さんが第1次安倍内閣の行革担当相で2月には日本郵政の坂前社長の問題で菅官房長官と連絡して民営化路線の堅持に努めたように「小さな政府」志向のみんなの党とは経済政策が全く異質であるためだったのでしょう。
さて、その時の構想は石原氏が消極的だったことと亀井氏が翌12年4月に党内で失脚・離党したことで潰え、「石原新党」は結局、旧たちあがれ日本が12年11月13日に改組した旧太陽と河村代表の率いる減税日本の合流を巡る迷走(同月15日に合流発表、21日に撤回)を経て17日に旧太陽と大阪維新の合流が決まって今の維新として実現される、という経緯を辿っていますが、それから今回の分党までの1年7ヵ月を挟んで再び興った石原新党(新石原新党)構想では一転、旧たちあがれ日本系である維新石原系とみんなの党の接近の可能性が兆しているという変化は看過できません。

両勢力を近づけているのは集団的自衛権や改憲などの安倍カラー政策にほかなりませんが、その「大同」の前には、かつて最大の相違点として渡辺さんの批判を招いた経済政策の違いも今や「小異」に過ぎなくなったかという観さえある、と言えるでしょうか。
その要因としては、党オーナーとして独自路線をとっていた渡辺さんの影響力が低下していることや、代表選立候補も検討した有力議員の松沢氏が上述のように石原氏とは過去に知事同士としての繋がりがあったことも挙げられますが、しかし最大のものはこちらでもやはり安倍さんの求心力が強烈であることでしょう。
すなわち、安倍さんの打ち出す安倍カラー政策が政界で最大のテーマとなっていることが、石原新党とみんなの党の大同団結運動の気運を醸成しているということを見出してよいのではないでしょうか。
なお、みんなの党は維新とは大阪府議会で統一会派を組んで協調関係にあるとされますが(『産経新聞』14.5.30-11:42)、それは大阪に近い兵庫で7区と1区を地盤とする結いの畠中国対委員長と井坂幹事長代理(ともに比例復活当選)が維新との合流に積極的で江田氏とともに離党したのと同じように、みんなの党には維新の地域的な磁力が作用してもいることを物語っているでしょうか。

■政権・与党と野党勢力の距離が縮まることは、例えば、菅内閣期に消費増税に向けて賛成派の多数化が図られて、旧たちあがれ日本がその標的になったことを挙げられます。
その時は、党共同代表で財政再建派の代表格だった与謝野元官房長官のみが呼応して離党、無所属となって経済財政担当相として入閣しましたが、これも菅内閣として協力的な野党を拡大することには失敗したと言うべきでしょう。
それが第2次安倍政権下では一転、維新分党で石原系が多数派工作で健闘し、みんなの党で石原新党との大同団結運動の気配が見えているというように、責任野党の拡大は安倍さんや菅さんなどが後押しするまでもなく自走しているのであり、それは偏に、菅元首相の場合と違って、安倍さんの求心力が強烈であることによるのは論を待ちません。

安倍カラー政策の推進に当たって、維新やみんなの党は責任野党として政権と「政策ごとに連携」して例えば特定秘密保護法の修正協議や国民投票法の改正作業で協力しており、野党再編によるその弱体化は好ましくありません。
1月3日の記事で指摘したように、安倍さんは野党再編の第一段として結いが結党された13年12月18日に石原、平沼両氏と会談、第二段が目指されて22日に維新の浅田政調会長と結いの柿沢政調会長が会談した翌23日には菅さんや石破幹事長とともに維新の橋下氏、松井幹事長、松野国会議員団幹事長の三者と会合を持っていますが、それは維新が「完全に」野党化して責任野党でなくなるのを阻止したい意識の表れだったでしょう。
維新分党と野党再編の加速はそれに反しますが、しかし上述のように維新石原系とみんなの党は引き続き責任野党たろうとし、橋下系についても菅さんが31日に松井氏と会談して今後も「政策次第では引き続き連携していくことを確認」(時事通信、同日22:57)、石破さんも「引き続き、維新側との連携を探っていく考えを示し」(時事通信、14.5.28-19:10)ているように、責任野党たることはなお期待できるのでしょう。

維新分党では石原系の責任野党としての性質が明確になりましたが、橋下系はむしろ新たな不安定要因を抱えたことになったと言えます。
橋下氏は集団的自衛権や改憲など安倍カラー政策の多くで石原氏とともに政権に歩調を合わせていた一方、リベラル色の強い結いとはそれらの課題で対立するのであり、橋下新党内部の不協和音は今から十分に予想できるとせざるを得ません。
松井氏が「政策次第では引き続き連携していくこと」に言及しているように橋下新党が「完全に」野党化する可能性は低く思われますが、あるいは橋下氏は新党で結い側と政策的な違いが表面化しても議席数の差で主導権を握れると踏んでいるのでしょうか。
橋下氏にとって12年11月の旧太陽との合流は保守派同士のものながら破綻しましたが、今回目指している結いとの合流は保守とリベラルによるもので、前回以上に不自然なものになると言えます。
また、橋下新党への参加者が伸び悩んで40人に届かなかったことは再編の第三段すなわち民主党の再編積極派の勢いを弱めることにもなるでしょう。
それも、これまで検討したように安倍さんの求心力が強烈で野党側にまで及んでいることの余波であると言えますが、責任野党として本来なら政権に共鳴するはずの橋下氏が不自然に、また野党再編に拘る江田氏がそれに抗って遠心力を働かせようとすることの代償は小さくないでしょう。


(R)

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