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[転載] 『アンネの日記』とエレノア・ルーズベルト【転載】

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櫛田B子さまの『天晴!にっぽん』(Hatenaブログ)より転載させて頂きました。
記事のオリジンは下記に示されています。
 
(以下、転載記事。 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます。)

『アンネの日記』とエレノア・ルーズベルト【転載】
 
livedoorブログ ajnaさまの
「反日はどこからくるの」
より転載させていただきました。
この記事のURL:
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/39093892.html

   【転載】ここから
人権擁護法案がやばいというのはもはや常識かと思うが
この法案はどこから出てきているかというと
人種差別撤廃条約という条約である
 
条約の前文では、植民地主義・及びそれに派生する人種隔離や差別を非難し、1960年12月14日の「植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言(国際連合総会決議第1514号(第15回会期))」、1963年11月20日の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言(国際連合総会決議第1904号(第18回会期))」を引用した上で、特にアパルトヘイト、人種隔離(segregation)、人種分離(separation)を批判し、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言」にいう差別のない状態の実現のため、本条約に合意したとしている。
1959年から60年にかけてのネオナチの行動に対して国連人権委員会の小委員会が決議を採択したことを受け、国連総会は1963年に人種差別撤廃宣言を採択し、1965年12月に本条約を採択した。
当事国数は173か国である(2008年6月2日最終更新)。日本は1995年に加入した。

 
第4条
当条約第4条は
(a)「人種的優劣又は憎悪に基ずく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるであるかを問わず、すべての暴力行為又はその行為の扇動、及び人種主義に基ずく活動に対する資金援助の提供も『法律で処罰すべき犯罪』であることを宣言すること」
(b)「人種差別を助長し及び扇動するその他のすべての宣言・活動を『違法である』として禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が、『法律で処罰すべき犯罪』であることを認めること」
と規定し、あらゆる差別の唱道を、犯罪として禁止している。これは通常人種差別的なヘイトスピーチを含むが、アメリカ合衆国の様に「言論の自由を妨げない範囲」という留保を設け、ヘイトスピーチの法的禁止を拒む国がある。
日本国も第4条の規定の適応に当たり、『同条に「世界人権宣言に具現された原則、及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って」と規定してあることに留意し、日本国憲法の下における「集会、結社及び表現の自由その他の権利」の保障と抵触しない限度において、これらの規定による義務を履行する。』という留保を宣言している。

世界人権宣言
これがあのフランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトによるものだと知って
ひっくり返りそうになった
イメージ 4
エレノア・ルーズベルト
日本を対米戦争に追い込んだルーズベルトの妻が世界人権宣言
悪い冗談としか思えないわけでございますよ

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アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt, 1884年10月11日 - 1962年11月7日)はアメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人(アメリカ合衆国のファーストレディ)、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。リベラル派として高名であった。あくまでもリベラル派(自由主義者)なのであって、左翼運動や共産主義運動に対しては批判的であり、明確に一線を画していた

生い立ち
アナ・エレノア・ルーズベルトは1884年10月11日ニューヨーク37番街西56で、エリオット・ルーズベルトとアナ・エレノア・ホール夫妻の間に生まれる。彼女は第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪に当たる。父はハンサムでアルコール中毒患者だった。母は美人であったが冷酷であった。両親とも大富豪の名門で、金銭的にはとても恵まれていたが、家庭環境は理想とはかけ離れたものだった。
両親と早くに死別したため、祖母の下で養育される。その後イギリスに渡り女学校に入学した。そのときの女学校の先生でフェミニストとしても有名だったマリー・スーヴェストゥールの進歩的な考えに大きな影響を受ける。帰国後ニューヨークで、貧しい移民の子どものための学校で働き、人生で初めて貧困の現状を目にし、大きな衝撃を受ける。このときの体験が、彼女が生涯人権のために働いた原動力であったともいえる。

晩年
1945年4月12日にルーズベルトが死去すると、エレノアは家族と共にニューヨーク州ハイドパークの私邸に退き、そこで静かな余生を送るつもりだった。しかし、夫の跡を受け継いだトルーマン大統領の要請で国際連合の第1回総会代表団の一員に指名される。上院の同意を得て正式に任命されたエレノアは、1946年にロンドンに赴任し総会に参加した。ロンドンの総会では人権委員会に参加し、委員長に選出される。人権委員会は世界人権宣言の起草に着手し1948年12月に国連総会で採択された。

「あくまでりベラリスト」とあるが
イメージ 2
エレノア・ルーズベルトの共産主義活動を批判したパンフレットbyFBI
http://www.pbs.org/wgbh/americanexperience/features/primary-resources/eleanor-fbi/4/


 
更に調べていたら
あのアンネの日記に大いに関わっていた


 

 
なるほどねえ・・・
やたらに『アンネの日記』にこだわる人達がどういう人達なのか分かりましたね
「人権思想は人類普遍の価値」と頭から信じている人は
その発想がどこから出ているのか知った方がいい
そもそも人種差別撤廃を最初に国際社会に訴えたのは日本で
あの時アメリカは拒否したのではなかったか・・・・?
連合国(=United Nations)は人種差別撤廃を訴える資格があるほど
フェアだったか・・・・?
国連といういかがわしい団体を盲信するのはもうやめよう
余談
エレノア・ルーズベルトをさっくり検索して出てくるのは称賛ばかり
男女同権を日本国憲法に書いたベアテ・シロタ・ゴードンも同様
この日本には未だプレス・コードが生きてるとしか言いようがありませんね
(プレス・コード→
戦後占領政策に追従した売国的言論人たち : 反日はどこからくるの

 
   【転載】ここまで

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