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[転載] 移民問題に悩むイギリス、少子化から多子化へ転じたフランス(渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針」より転載)

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koreyipさまのブログ『koreyasublog』より転載させて頂きました。
 
(以下、転載記事)

移民問題に悩むイギリス、少子化から多子化へ転じたフランス(渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針」より転載)

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私の「身辺雑記」(127)
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            平井 修一
■7月26日(土)。朝は室温31.5度、晴、暑い。ゴミ出しの際に建物の壁に増えてきた蔦を除去したが、10分ほどで汗びっしょりになった。
8時には33度近くになった。今日もクーラーの世話になる。
移民をめぐって日本では議論が盛んになってきたが、盛んなうちはまだいいが、英国では永らくそれは「アンタッチャブル」で、反対すれば“差別主義者”として社会的に抹殺されるほどだったという。恐ろしい話だ。
ジャーナリストのコリン・ジョイス氏の論考「英国で移民問題が『タ
ブー』でなくなったわけ」を読んでいこう(NW7/17)。
                ・・・
ここ数年、僕たちイギリスの国民は、一部の政治家からこんな寛大な言葉を聞かされてきた。移民について懸念するのは、決して人種差別なんかではないですよ――。
こんな「お許し」が出たのは、大きな変化だ。10年以上にわたり、多くのイギリス人が移民の大量流入に懸念をおぼえながらも、そんな心配を口にしようものなら非難されてきたのだから。
僕の友人の1人も、大量の人々を外国から輸入するという事実上の「政策」をずばり批判したために、事あるごとに人種差別主義者だと非難されていた。
僕は、もっと慎重に発言するようにと彼をたしなめたこともあった。それに、正直に言うと、数年前ならこのブログにこんなことを書くのすらためらわれただろう。
イギリスは50年代から移民を受け入れてきたが、90年代後半からはその量も性質も様変わりした。僕の生きてきた期間において、イギリスを変えた唯一最大の出来事こそ移民だったと言っていい。
個人的にひどいと思ったのが、移民の大量流入についてイギリス人に民主的選択が与えられていなかったことだ。選挙の際のマニフェストにも記さないまま進められ、今や廃止もできなければ制限も難しい政策になってしまった。
 
ブレアとブラウンの労働党政権下で移民は野放し状態だった(内務省は合法的な移民の数も不法移民の数も、滞在者数も把握していないことを事実上認めている)。
最近、労働者階級より上の階層も移民のマイナス面を感じ始めていることに僕は気付いた。中産階級の若者(35歳未満)の多くは(生まれながらの権利と信じて疑わなかった)ロンドンの住宅を買うことができなくなっている。
貧しい移民が多くの公営住宅や安い賃貸住宅を占拠する一方で裕福な駐在外国人はロンドンの不動産を投資対象として買い占め、心のロンドン市民が締め出されている。
僕にはロンドンの一等地にすばらしい家を所有している友人が2人いる。2人とも自分の子供を地元の公立学校に通わせるつもりだった(2人とも公立学校出身だ)。でも下見したところ、さまざまな国から来た移民の子供たちで教室はあふれかえっていた。
イギリスに来てまだ日が浅く、英語が母国語ではない子が多いので、1、2年生のクラスは英語を教えることで精一杯になることが分かった。ということは、友人の子供はその期間を無駄にすることになる。2人とも、大金を掛けて私立学校に通わせるしかないと感じたそうだ。
長年のあいだ、文化摩擦に苦しんできたのは貧しい地域の人々だった。高齢のイギリス人の団地住民は、次第にサリーやブルカ姿の女性に圧倒されていった。
それが今では移民の規模はこうした地域を超えて拡大する一方。小さな町や村では新入りの移民が曜日構わずごみを捨てたり、(あえて国名を挙げれば)ポーランド人の若者が夏に毎日、庭先で母国語でラップをがなりたてていたりする。
今になって移民を疑問視してもいいという政治家が出てきたのはなぜか。
彼らがたいして気にかけていない「一般大衆」だけでなく、政治家と付き合いのあるそれなりの階層の人々にまで、移民問題が影響を与えるようになったからではないだろうか――そんなふうに強く感じるのは、僕が皮肉屋だからだろうか。(以上)
              ・・・
一旦移民を受け入れたら、彼らは家族や親戚を呼び寄せ、地域に根を張り、やがて外来生物のように従来種を駆逐し、あらゆるところを占拠していく、蔦の絡まるチャペルのように。全面的に覆われたら終わりだ。この摩擦が問題化する頃には、新たな移民を受け入れないという政策を選ぶことはできても、定住した移民を追い出すことはできない。「一旦なったら、ならぬ昔には戻れない」、ノー・リターンだ。
専門職以外の移民は絶対受け入れてはいけない、と思う。
 
■7月27日(日)。朝は室温31度、晴、暑い。散歩から帰ったらもう32度近くになっており、クーラーをかけた。今夏は記録的に暑い夏なのではないか。暑すぎて支那では化学工場が爆発した。物騒な国だ。
世界日報7/22が<「日米密約」西山氏は報じていないのに「報じた」と誤報を続ける各紙>と苦情を呈している。暑いから記者もイライラしているのか。以下引用。
                ・・・
◆報じず社会党に渡す
「嘘も百回言えば真実になる」。ナチス・ドイツのゲッペルスやレーニンがこれを地で行ったが、どうやら日本の新聞も倣っているらしい。いったい、いつまで嘘をつき続けるつもりなのか、記者の良識が疑われる。
それは「沖縄密約」をめぐる報道についてだ。1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約を示す文書について、元毎日記者の西山太吉氏らが国に開示を求めていた訴訟で、最高裁は西山氏側の訴えを退け、不開示が決定した。
この判決自体には論議があるが、ここではそれを論じない。「嘘」とは新聞記事のことである。毎日は「西山さんは、72年5月に発効した沖縄返還協定の交渉過程で、米側が負担するはずだった土地の原状回復費用などを日本が肩代わりすることにした日米間の密約を報じた。
外務省の事務官とともに国家公務員法違反で起訴され、有罪が確定した」(15日付)と、「報じた」とし、それがもとで有罪になったかのように書いている。
産経も「沖縄返還をめぐる密約の存在を報道した元毎日新聞の西山太吉氏」とし、朝日は「西山さんは、初めて密約の存在を暴いた」、読売は「1971年に密約疑惑を報じた」(いずれも15日付)と、そろって「報道した」としている。
だが、これは嘘っぱちである。当時、毎日記者だった西山氏が外務省の女性事務官と「情を通じて」、公電の機密文書を入手し、71年6月に密約の存在を示唆する記事を書いたが、臆測記事として話題にもならなかった。
西山氏は72年に密約文書を社会党代議士に渡し、国会で暴露させた。
それで文書の漏洩が発覚し、西山氏は女性事務官とともに国家公務員法(秘密漏洩)違反で逮捕された。事件直後に毎日は西山氏の非を認めて解職し、編集局長も辞任、「おわび」記事まで掲載した。それで当時、毎日も他紙も「報じた」とは書かなかった。
◆反社会的手法と判決
当の西山氏は言論弾圧事件として最高裁まで争ったが、退けられた(78年5月)。判決は、報道のための取材の自由は表現の自由の中でもとりわけ重要だとし、取材活動が誘導的あるいは唆(そそのか)すようなことがあっても、それが真に報道目的なら取材活動の正当性が認められるとした。
しかし「刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙するなど、法秩序全体の精神に照らし、社会観念上是認することのできない態様のものである場合には正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる」とし、西山氏の取材方法は反社会的で「知る権利」に該当しないとした。
つまり、男女関係を通じて機密を盗み出させ、報道もせずに政治的に利用した西山氏はジャーナリストではなく、単なる犯罪人と断じたのである。
これは他の記者も肝に銘ずべき教訓だろう。
 
◆90年以降に書き換え
それが90年代以降、「密約」が話題になると、いつの間にか「報じて逮捕された」と平然と書くようになった。筆者はこの虚偽報道を本欄で何度か取り上げ、一時、毎日は事実関係を客観的に記すようになった(例えば11年9月30日付)。ところが、またぞろ「報じた」である。
昨年の特定機密保護法をめぐるプロパガンダまがいの批判記事でも西山事件を持ち出し、「知る権利」が損なわれると書き立てた新聞もあった。今回、日経は「(西山氏は)外務省の機密文書を入手して密約を示唆する記事を書き、国家公務員法違反で有罪が確定した」(15日付)と、まるで報道によって有罪になったかのように記している。
朝日社説は「(密約の)その存在をジャーナリストとして突き止めた西山さんは刑事罰を受けた。その一方で闇に葬った政府関係者がとがめなしでは、あまりにもバランスを欠く」(15日付)と、筋違いなことを言っている。西山氏はジャーナリストとして裁かれたのではない。
読売は、記事は間違っているが、社説は「西山氏が関連文書の写しを外務省職員から入手し、野党議員がそれを基に国会で追及した」(16日付)と正しく記す。どうも社内で徹底していないようだ。
西山氏を英雄にしたいのか、それとも記者の無知の所産か。いずれにしても「嘘も百回」は、ごめん被りたい。(増 記代司)(以上)
               ・・・
「密約の存在を示唆する記事を書いたが、臆測記事として話題にもならなかった」とあるが、これが「報道した」ことになるのか、ならないのか。
ウィキでは「1972年、沖縄返還時の日米間の密約について、“外務省の女性事務官と密かに情を通じ、秘密漏洩を唆した”として、東京地方検察庁特別捜査部に逮捕・起訴される(西山事件)」とあるが、密約を「報道した」とは一言も書いていない。
西山は嘘八百の岩波アカ書店から3冊上梓し、民主党が政権をとった際には『民主政治のはじまり 政権交代を起点に世界を視る』(2010年)の共著者にもなっている。民主党政権で日本は滅茶苦茶にされたのに、西山は大はしゃぎしていたのだから、根っからのアカなのだろう。小生は世界日報の主張が正しいと判断する。
外交に秘密や盗聴、諜報、謀略は付き物で、秘密がないことになっている
夫婦の間だって告白したら大変なことがいっぱいある。世の中は想ではなく利害や愛憎で動いているという冷徹なリアリストの視点が必要だ。
 
■7月28日(月)。朝は室温29度、晴、風あり。久々に30度未満で、このところ何日も35度を体験させられた身には涼しい感じがする。
夕べは5歳の孫娘が3泊4日のキャンプから帰ってきた。お泊り保育ではあるけれど、舞台は群馬県下仁田町という自然タップリのド田舎の古民家で、園児7人を5人の保育士が世話しつつ、大いに田舎暮らしを楽しんだようだ。とても興奮していた。
下仁田町のサイトにはこうあった。
<総面積のうち約85%が山林及び原野で占められ、平坦部は極めて少なく、生活基盤・産業基盤はいずれも良好とはいえませんが、美しい山並みや清らかな渓流など、豊かな自然に恵まれた農山村です>
渓流での生まれて初めての川遊びなどの話を聞きながら、4人で天ぷら(白身魚、鶏モモ、エビ、かき揚げ)、盛うどん、刺身を楽しんだ。
孫・子は時々会うのがいい。そう言えば長男坊の嫁さんが9月に2人目を生む。今度も女児だろう。小生にとっては5人目の孫だ。長男夫婦は最低3人を目標にしているから3人目は男児だろう。夫婦とも公務員だから出産・
育児環境は恵まれている。というか民間が遅れすぎているのだ。
収入が低くて結婚できない男、収入がそこそこあるから自由気ままに暮らしたい女・・・これでは結婚も出産も減るばかりだが、いい手はあるのかどうか。
小田垣祥一郎氏(元・東北管区警察局長)の論考「出生率・出生数の大幅な上昇実現こそが日本を救う」(Voice6/11)から。
              ・・・
<出産・子育て家庭に対する経済的支援>
これについては、以下に挙げる取り組みを行なう。脱少子化へ向けて、社会全体の流れが変わるまでGNPの相当部分を投入する必要があろう。
 
(1)高齢化社会対策偏重から出産・子育て重視へのウエイトシフトを一段と推進し、より均衡のとれた社会保障制度とする。
 
(2)出産・子育て家庭に対する経済的支援をするにあたっては、「手当」と「控除等税制上の優遇措置」の両面から支援することにより、出産・子育て家庭に対する経済的支援の徹底振りが一目瞭然となるように配意する。
その場合、第2子、とくに第3子以降にメリハリの効いた優遇格差を設ける。さらに大家族優遇制度を整備する。(例:子供の数に応じた税制上の「子ども控除」)。
また、公平上の観点から、いわゆるフリーライダーと出産・子育て家庭とのあいだで思い切った税制上の負担是正を図る。
 
(3)企業社会といわれる今日、企業(団体)の出産・子育て家庭に対する取組み姿勢は、少子化克服の成否に大きく影響する。企業(団体)が出産・子育て支援のための各種取組みを一層実施し易くなるように、国・地方自治体は可能なかぎり税制上等の優遇措置を講じる。
とりわけ、「本給一本建」の給与体系から「出産・子育て支援重視」の給与体系への転換が促進されるよう配意する。
 
(4)子育て環境の整備については、これまで講じられてきた諸施策を踏まえ、待機児童解消や育児休暇取得促進、子育て一段落後の社会・職場復帰促進のための施策等の一層の充実を図る。(以上)
              ・・・
どうも小生には結婚・出産・育児の促進には「愛国心」が必要なのではないかという気がする。自己をたとえ犠牲にしてでも誇るべき日本を次代に繋げていくのだという「使命感」と言ってもいいが、愛国心を伴わないと経済的支援はとんでもない寄生虫、フリーライダー(タダ乗り屋)を生むことになりかねない。
ボストン在住のmulticultiさんの論考「フランス人教師にきいたフランスの少子化対策の影」(ブログス7/26)から。
              ・・・
夏休みに南フランスに帰っているフランス人の友人に会いにいきました。
普段はボストンの学校で小学校の先生をしている彼女は、アメリカに来る前は南フランスの田舎の小学校の先生をしていました。ほとんど自給自足
ができそうなくらいな豊かな生活をしているのに、よくボストンに引っ越してきたね、なんて話していたら、
「田舎では、親が子供の教育にあんまり興味がない人が多いの。それにね、フランスでは子供が多いほど手当が多くつくので、フランス経済はあんまり上手くいってないけど、出生率は高いわね。
私の給料は月2000ユーロ(平井:27万3000円)だったの。(ちなみに彼女は15年以上先生をしています)ところが、近所にいた子供が3人いる家庭は、両親ともに働かず、生活補助がでて2700ユーロ(36万9000円)もらっていたわ。税金がそこからひかれることはないし、家賃を払う必要も彼らにはなかった。
給料が低くても私は好きな仕事をしているから文句はないのだけど、かわいそうなのは子供達だった。親が子供に興味がないの。秋の新学期には、
400ユーロ(5万4000円)が支給されるんだけど、それは基本的には子供たちが学校でその一年使うものを買うためにもらうものなのに、そのお金は新しい電話やテレビを買う為に使われていたみたい。子供たちがしょっちゅうおなかすかせて、学校にきていたわ」
自分は、彼女のように教育に対して熱心な先生に教えてもらいたいと思いますが、全ての親がそう思っているわけではない、子供をお金をもらう為の手段にしている人達もいるという現実を知らされてしまったような話でした。(以上)
              ・・・
出産が金になり、子育ては「教育なしの飼育商売」と化す、親は生活保護で左団扇・・・なんという恐ろしいことだろう。賢者が賢児を産み育てるのではなく、愚者が愚児を産むという負のスパイラル。亡国になりかねない。(2014/7/28)

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