理瀬さまのブログ『◆安倍晋三さん「美しい国づくり」・創生「日本」・救国ネット支持◆』より転載させて頂きました。
こちらのブログは産経の政治ニュースでも触れない政界の動きを実に詳しくアップしておられます。
政治家は言うに及ばず、政治に関心をもつ国民にとっても、最も大切なものはこの国をどのような国にするのかという理念だと思います。
しかし実際の政治はかなりどろどろした部分で動いています。
この部分について知ったうえで理念の灯を燃やしてゆくことが重要だと思っています。そうでない政治論は上滑りしがちです。
(以下、転載記事)
安倍首相と参院政局
+--【安倍晋三です。】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+
今日、還暦を迎えました。
人生一区切りですが、更に元気に国の為頑張っていこうと思います。
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+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+(2014.09.21[Sun] 17:13)
▼安倍晋三事務所携帯版HP
http://www.s-abe.jp/
*メルマガの配信元です。
■21日は安倍さんの60歳の誕生日でした。
おめでとうございますと申し上げたいと思います。
報道によれば、その日は17:22に丸の内のパレスホテル内、ラウンジバー「プリヴェ」で昭恵夫人や友人と食事会を行ったというので、写真はその少し前に撮ったものでしょうか。
■12日、参院特別総会で執行部の刷新があり、伊達幹事長と吉田国対委員長、鶴保政審会長、また岩城議員副会長という配置が決定。
それについては、任期途中の溝手議員会長が岸田派、岩城さんと伊達さんが町村派、吉田さんが額賀派で、三大派閥が中心的な11年(10月)の人事以来の枠組みが維持されたことをまず指摘できるでしょう。
また、町村、額賀両派がこれまで押さえていた役職を交換していることと、二階派つまり非三派から登用された鶴保さんの位置づけ、それに脇前幹事長の更迭などに注目されます。
脇さんの更迭の要因には、参院選挙制度改革について座長として提唱した「合区案」や「選挙区域調整案」に溝手さん以下から反発が相次いだことをまず挙げられます。
その問題を巡って溝手さんと脇さんの対立は徐々に先鋭化していくことになり、内閣改造で「周りの期待は…大きくなるばかり」(『産経新聞』14.7.12-7:00)と予て入閣が有力視されていた脇さんをそれに合わせて交代することが練られて8月28日午前には「脇氏を参院枠の入閣候補に推薦する考えだった」(『毎日新聞』14.9.12-12:05)溝手さんが官邸で安倍さんと面会し、31日には行革担当相への就任が浮上(『毎日新聞』同日10:40)。
幹事長再任を希望していた脇さんはそれに対抗し、既に森元首相や青木元参院議員会長にそう宣言していたとされるとおり3日の内閣改造での入閣を固辞。
それにより溝手さんとの「溝は決定的になった」(12日12:05『毎日新聞』、既出)とされるほか、5日には「離党も選択肢に入れていると、自らに近い議員に伝えていたこと」(時事通信、同日22:40)が判明し、更に、9日には参院執行部会で溝手さんに対して「参院選挙制度改革に消極的だとして、「大変な誤りで責任を取るべきだ」と辞任」を要求(『毎日新聞』同日18:49、最終更新同日23:35)。
その後、脇さんは離党を「プラスにならない」(時事通信、14.9.12-11:52)として自重したものの、「所属する額賀派に対し「自らの改革案に反対する議員がいる」として退会届を出し」(『産経新聞』14.9.13-7:55)ています。
ところで、額賀派あるいは参院に対して青木さんが影響力を保持していることはしばしば指摘されますが、脇さんが派閥や参院で孤立したことの背景にはあるいは青木さんの存在感も影響したでしょうか。
青木さんや後継者の青木一彦前参院国対副委員長の地盤である島根は、合区案では鳥取と併せられるものとされ、選挙区域調整案では溝手さんの地盤の広島から「一部区域を譲り受けることが想定される」(『産経新聞』14.7.25-19:38)など、いずれでも改革の対象になっていますが、それに青木さん父子が否定的であることは考えられるでしょう。
脇さんはかつて集団的自衛権について「慎重議論を訴え」、その「背後」には青木さんの「影がちらつく」との見方(『産経新聞』14.3.10-23:57)もあって、青木さんと連携して参院で主流、額賀派で直系的な地位にあったことが窺えたものの、一転して幹事長を更迭されるまでに至ったのは、選挙制度改革ではその青木さんと利害が対立したことが無関係ではなかったかもしれません。
脇さんが額賀派を退会したのも、この問題を契機に青木さんと疎隔したことを示唆しているようだと言えるでしょうか。
なお、町村派が幹事長を輩出するのは、谷川元参院幹事長が10年(8月)の議員会長選挙で敗れて退任して以来4年ぶり。
10年議員会長選挙で町村派は、森さんが当初有力視されていた林前農水相を政調会長候補に挙げて立候補見送りを促すなど、谷川さんを支えて議員会長ポスト獲得への意欲を強くしましたが、結果は、安倍さんが分派的に後援した中曽根前議員会長が勝利、その執行部では無派閥の山本前沖縄・北方担当相や町村派の世耕官房副長官と丸川前政審会長代理といういずれも安倍さんに近い役員が起用された一方、派閥として役員を輩出することはありませんでした。
その後、翌11年の人事では古賀、額賀両派と結んで巻き返し、それ以降は執行部の一角を占め続けているものの、それは主に政審会長ポストだったのであり、13年(10月)に伊達さんを国対委員長に立て今回幹事長に昇格させるのに成功したのは、参院における町村派の地位回復を印象づけます。
すなわち、脇さんが更迭されることになったのは、町村派が幹事長ポストの獲得を望んだことの余波として、10年の議員会長選挙以来の参院政局の延長線上に位置づけてよいのではないでしょうか。
ところで、16年7月の次の参院選では溝手さん脇さんとも改選を迎え、同月にはまた溝手さんが議員会長の任期を満了するので、後任を決める選挙も近い時期に行われることになります。
脇さんは16年7月には71歳で、出身の参院比例区の定年である70歳を超えるため、7月12日7:00の『産経新聞』(既出)に「周辺によると、脇氏は2年後の参院選にも「出ない」といっている」とあったように不出馬の可能性もあり、溝手さんは、議員会長が再選される例は近年全くないのに鑑みれば退任するものと思われ、参院自民党は次期参院選を境に様相を大きく変えることが予想されるでしょう。
溝手さんの後任には、16年には非改選の伊達さんを、今回幹事長に昇格したのを伏線にして、挙げられるはずですが、それが実現すれば町村派は10年8月以来6年越しで議員会長ポストを獲得することになります。
また、来年9月には総裁選に伴う内閣改造・党役員人事が予想されますが、伊達さんはそこでまず参院の閣僚候補になることでしょう。
■では安倍さんは、一連の参院政局にどう関わるでしょうか。
それについては、今回脇さんは執行部内での孤立を深めたものの、衛藤首相補佐官や西田前副幹事長という安倍さん側近が公の場で脇さんに同調する意見を述べていたことに注視すべきでしょう。
すなわち衛藤さんは12日の特別総会で脇さんの更迭に異論を唱え「「脇幹事長のままで党の選挙制度改革案を出すべきだ」と訴えた」(『産経新聞』14.9.13-7:55、既出)といい、西田さんも9日に執行部会で「脇氏に賛同」(『産経新聞』同日19:15)して特別総会の前の議員総会開会を溝手さんに要求。
ここで、衛藤さんは中曽根さんと同じ二階派で、三派が巻き返した11年人事で山本さんや小坂元幹事長など中曽根さんが独自色を発揮して起用した役員が一掃された際に新設の幹事長代行に任じられて、執行部で唯一中曽根さんに近かったのであり、西田さんも、町村派所属であるとはいえ、10年議員会長選挙で中曽根さんを支持した安倍さんの側近なので参院政局に関してはむしろ非三派に分類することもできるのでしょう。
また、8月23日7:00の『産経新聞』は、かつて集団的自衛権に関する与党協議の参院からのメンバーの選考で溝手さんが山本総務会長代理を、脇さんが西田さんをそれぞれ推していたことを伝えていますが、それは溝手さんと脇さんの齟齬の一端であると同時に、幹事長と副幹事長だった脇さんと西田さんの距離の近さや信頼感の表れでもあったでしょうか。
それらのことからは、三派が終始主導的だった脇さんの更迭劇はやはり一連の参院政局の流れに位置づけられるのであり、その意味において、三派の一角である額賀派から排撃された脇さんを非三派系の両者が支持したのも怪しむに足りなかったでしょう。
安倍さん自身、12日の特別総会の前に「脇氏の更迭によって自民党の改革のスピードが遅れるのを危惧し」て溝手さんを官邸に呼び、「「選挙制度改革をしっかりやるように」と指示」していますが(『産経新聞』14.9.13-7:55、既出)、そのような改革の必要性の強調は、衛藤さんや西田さんの発言に鑑みて、同じように三派の動きに否定的であるということかと理解しても大過はないでしょう。
政審会長の鶴保さんは二階派ですが、三派以外から役員が起用されるのは衛藤さんが幹事長代行とされた11年人事以来で、10年には無派閥の山本さんが政審会長、04年には亀井派(今の二階派)の所属で後に離党して新党改革に転じた矢野元外務副大臣が国対委員長だったことがあるものの、極めて異例だったと言えます。
それには所属派閥の会長でともに和歌山を地盤とする二階総務会長のプッシュがあったことが想像されますが、政審会長ポストは11年人事で岩城さんが就いて以来既述のようにこれまで町村派が押さえ、更に安倍さんが総裁に復帰した12年9月以降は世耕さんや橋本元政審会長、山谷国家公安委員長というようにその側近や女性の起用が続いて安倍さんの方針が反映されていたのであり、その点においても二階派の鶴保さんの就任は異例だったでしょう。
その結果、今の参院執行部には安倍さんの側近は不在となり、その状況は11年に三派が巻き返して安倍さんが後援する中曽根さんの主導権が後退した体制に似ますが、しかし、今回の内閣改造で参院から入閣したのは山谷さんと有村行革担当相といういずれも保守派の女性で「参院推薦の閣僚枠が事実上ゼロ」(『毎日新聞』14.9.13-0:25)だったのであり、安倍さんの参院に対する優位はむしろ強まったと考えてよいのかもしれません。
脇さんが溝手さんの推薦にも関わらず入閣を固辞したことで「参院側で入閣候補を推薦できず、人事での存在感が低下し」(『毎日新聞』14.9.2-22:20、最終更新3日0:20)たことは、安倍さんが必ずしも距離の近くない溝手さんを牽制する好機になったと言えるでしょうか。
政審会長ポストの側近以外への開放も、参院に対する優位を改造で十分に確保し、余裕を持ってバランスを取ったものだったと言えるでしょう。
なお、改造で脇さんとともに「入閣の方向」(『毎日新聞』14.9.1-15:00、最終更新同日17:47)だったものの実現しなかった岩城さんが議員副会長に処遇されたのは、それを慰撫するものだったでしょう。
ところで、これまで政審会長は政調会長代理を兼任することが通例だったものの、鶴保さんはそれを兼ねていません。
参院からは宮澤、野村両政調会長代理が専任で輩出されていますが、これからは何を考えられるでしょうか。
実は近年の政審会長では11年に就いた岩城さんが政調会長代理を兼ねておらず、兼任制は安倍さんの総裁復帰に伴う翌12年人事で側近の世耕さんが政審会長になった際に復活。
それは都度指摘している安倍さんの政調重視の一例に挙げられますが、同時に、安倍さんの参院への関与の程度を表しているとも言えるかもしれません。
すなわち側近の山本さんが政審会長を退任して岩城さんに交代した11年は中曽根さんの主導権が後退してそれと通じる安倍さんの影響力も相対化していたのであり、逆に12年10月の兼任制復活には総裁に復帰した安倍さんの意向が反映したのでしょう。
そして今回の政調会長代理兼任解消は、政審会長ポスト開放と同様、参院に対する優位と余裕を得た安倍さんが、それ故に参院への関与を敢えてそれ以上には強めず、むしろ自重した結果だったかもしれません。
安倍さんは溝手さんが麻生派所属で保守系の鴻池元防災担当相と争った13年議員会長選挙では、党内で非主流派だった10年選挙とは一転、関与を控えて三派を中心とする参院の秩序を容認していますが、それは総裁として、参院が混迷するのを嫌ったのだったのでしょう。
それや今回の政審会長ポストの扱いは、安倍さんが参院への対応で優位を図りながらも慎重を期していることを物語るものであるに違いありません。
(R)
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■21日は安倍さんの60歳の誕生日でした。
おめでとうございますと申し上げたいと思います。
報道によれば、その日は17:22に丸の内のパレスホテル内、ラウンジバー「プリヴェ」で昭恵夫人や友人と食事会を行ったというので、写真はその少し前に撮ったものでしょうか。
■12日、参院特別総会で執行部の刷新があり、伊達幹事長と吉田国対委員長、鶴保政審会長、また岩城議員副会長という配置が決定。
それについては、任期途中の溝手議員会長が岸田派、岩城さんと伊達さんが町村派、吉田さんが額賀派で、三大派閥が中心的な11年(10月)の人事以来の枠組みが維持されたことをまず指摘できるでしょう。
また、町村、額賀両派がこれまで押さえていた役職を交換していることと、二階派つまり非三派から登用された鶴保さんの位置づけ、それに脇前幹事長の更迭などに注目されます。
脇さんの更迭の要因には、参院選挙制度改革について座長として提唱した「合区案」や「選挙区域調整案」に溝手さん以下から反発が相次いだことをまず挙げられます。
その問題を巡って溝手さんと脇さんの対立は徐々に先鋭化していくことになり、内閣改造で「周りの期待は…大きくなるばかり」(『産経新聞』14.7.12-7:00)と予て入閣が有力視されていた脇さんをそれに合わせて交代することが練られて8月28日午前には「脇氏を参院枠の入閣候補に推薦する考えだった」(『毎日新聞』14.9.12-12:05)溝手さんが官邸で安倍さんと面会し、31日には行革担当相への就任が浮上(『毎日新聞』同日10:40)。
幹事長再任を希望していた脇さんはそれに対抗し、既に森元首相や青木元参院議員会長にそう宣言していたとされるとおり3日の内閣改造での入閣を固辞。
それにより溝手さんとの「溝は決定的になった」(12日12:05『毎日新聞』、既出)とされるほか、5日には「離党も選択肢に入れていると、自らに近い議員に伝えていたこと」(時事通信、同日22:40)が判明し、更に、9日には参院執行部会で溝手さんに対して「参院選挙制度改革に消極的だとして、「大変な誤りで責任を取るべきだ」と辞任」を要求(『毎日新聞』同日18:49、最終更新同日23:35)。
その後、脇さんは離党を「プラスにならない」(時事通信、14.9.12-11:52)として自重したものの、「所属する額賀派に対し「自らの改革案に反対する議員がいる」として退会届を出し」(『産経新聞』14.9.13-7:55)ています。
ところで、額賀派あるいは参院に対して青木さんが影響力を保持していることはしばしば指摘されますが、脇さんが派閥や参院で孤立したことの背景にはあるいは青木さんの存在感も影響したでしょうか。
青木さんや後継者の青木一彦前参院国対副委員長の地盤である島根は、合区案では鳥取と併せられるものとされ、選挙区域調整案では溝手さんの地盤の広島から「一部区域を譲り受けることが想定される」(『産経新聞』14.7.25-19:38)など、いずれでも改革の対象になっていますが、それに青木さん父子が否定的であることは考えられるでしょう。
脇さんはかつて集団的自衛権について「慎重議論を訴え」、その「背後」には青木さんの「影がちらつく」との見方(『産経新聞』14.3.10-23:57)もあって、青木さんと連携して参院で主流、額賀派で直系的な地位にあったことが窺えたものの、一転して幹事長を更迭されるまでに至ったのは、選挙制度改革ではその青木さんと利害が対立したことが無関係ではなかったかもしれません。
脇さんが額賀派を退会したのも、この問題を契機に青木さんと疎隔したことを示唆しているようだと言えるでしょうか。
なお、町村派が幹事長を輩出するのは、谷川元参院幹事長が10年(8月)の議員会長選挙で敗れて退任して以来4年ぶり。
10年議員会長選挙で町村派は、森さんが当初有力視されていた林前農水相を政調会長候補に挙げて立候補見送りを促すなど、谷川さんを支えて議員会長ポスト獲得への意欲を強くしましたが、結果は、安倍さんが分派的に後援した中曽根前議員会長が勝利、その執行部では無派閥の山本前沖縄・北方担当相や町村派の世耕官房副長官と丸川前政審会長代理といういずれも安倍さんに近い役員が起用された一方、派閥として役員を輩出することはありませんでした。
その後、翌11年の人事では古賀、額賀両派と結んで巻き返し、それ以降は執行部の一角を占め続けているものの、それは主に政審会長ポストだったのであり、13年(10月)に伊達さんを国対委員長に立て今回幹事長に昇格させるのに成功したのは、参院における町村派の地位回復を印象づけます。
すなわち、脇さんが更迭されることになったのは、町村派が幹事長ポストの獲得を望んだことの余波として、10年の議員会長選挙以来の参院政局の延長線上に位置づけてよいのではないでしょうか。
ところで、16年7月の次の参院選では溝手さん脇さんとも改選を迎え、同月にはまた溝手さんが議員会長の任期を満了するので、後任を決める選挙も近い時期に行われることになります。
脇さんは16年7月には71歳で、出身の参院比例区の定年である70歳を超えるため、7月12日7:00の『産経新聞』(既出)に「周辺によると、脇氏は2年後の参院選にも「出ない」といっている」とあったように不出馬の可能性もあり、溝手さんは、議員会長が再選される例は近年全くないのに鑑みれば退任するものと思われ、参院自民党は次期参院選を境に様相を大きく変えることが予想されるでしょう。
溝手さんの後任には、16年には非改選の伊達さんを、今回幹事長に昇格したのを伏線にして、挙げられるはずですが、それが実現すれば町村派は10年8月以来6年越しで議員会長ポストを獲得することになります。
また、来年9月には総裁選に伴う内閣改造・党役員人事が予想されますが、伊達さんはそこでまず参院の閣僚候補になることでしょう。
■では安倍さんは、一連の参院政局にどう関わるでしょうか。
それについては、今回脇さんは執行部内での孤立を深めたものの、衛藤首相補佐官や西田前副幹事長という安倍さん側近が公の場で脇さんに同調する意見を述べていたことに注視すべきでしょう。
すなわち衛藤さんは12日の特別総会で脇さんの更迭に異論を唱え「「脇幹事長のままで党の選挙制度改革案を出すべきだ」と訴えた」(『産経新聞』14.9.13-7:55、既出)といい、西田さんも9日に執行部会で「脇氏に賛同」(『産経新聞』同日19:15)して特別総会の前の議員総会開会を溝手さんに要求。
ここで、衛藤さんは中曽根さんと同じ二階派で、三派が巻き返した11年人事で山本さんや小坂元幹事長など中曽根さんが独自色を発揮して起用した役員が一掃された際に新設の幹事長代行に任じられて、執行部で唯一中曽根さんに近かったのであり、西田さんも、町村派所属であるとはいえ、10年議員会長選挙で中曽根さんを支持した安倍さんの側近なので参院政局に関してはむしろ非三派に分類することもできるのでしょう。
また、8月23日7:00の『産経新聞』は、かつて集団的自衛権に関する与党協議の参院からのメンバーの選考で溝手さんが山本総務会長代理を、脇さんが西田さんをそれぞれ推していたことを伝えていますが、それは溝手さんと脇さんの齟齬の一端であると同時に、幹事長と副幹事長だった脇さんと西田さんの距離の近さや信頼感の表れでもあったでしょうか。
それらのことからは、三派が終始主導的だった脇さんの更迭劇はやはり一連の参院政局の流れに位置づけられるのであり、その意味において、三派の一角である額賀派から排撃された脇さんを非三派系の両者が支持したのも怪しむに足りなかったでしょう。
安倍さん自身、12日の特別総会の前に「脇氏の更迭によって自民党の改革のスピードが遅れるのを危惧し」て溝手さんを官邸に呼び、「「選挙制度改革をしっかりやるように」と指示」していますが(『産経新聞』14.9.13-7:55、既出)、そのような改革の必要性の強調は、衛藤さんや西田さんの発言に鑑みて、同じように三派の動きに否定的であるということかと理解しても大過はないでしょう。
政審会長の鶴保さんは二階派ですが、三派以外から役員が起用されるのは衛藤さんが幹事長代行とされた11年人事以来で、10年には無派閥の山本さんが政審会長、04年には亀井派(今の二階派)の所属で後に離党して新党改革に転じた矢野元外務副大臣が国対委員長だったことがあるものの、極めて異例だったと言えます。
それには所属派閥の会長でともに和歌山を地盤とする二階総務会長のプッシュがあったことが想像されますが、政審会長ポストは11年人事で岩城さんが就いて以来既述のようにこれまで町村派が押さえ、更に安倍さんが総裁に復帰した12年9月以降は世耕さんや橋本元政審会長、山谷国家公安委員長というようにその側近や女性の起用が続いて安倍さんの方針が反映されていたのであり、その点においても二階派の鶴保さんの就任は異例だったでしょう。
その結果、今の参院執行部には安倍さんの側近は不在となり、その状況は11年に三派が巻き返して安倍さんが後援する中曽根さんの主導権が後退した体制に似ますが、しかし、今回の内閣改造で参院から入閣したのは山谷さんと有村行革担当相といういずれも保守派の女性で「参院推薦の閣僚枠が事実上ゼロ」(『毎日新聞』14.9.13-0:25)だったのであり、安倍さんの参院に対する優位はむしろ強まったと考えてよいのかもしれません。
脇さんが溝手さんの推薦にも関わらず入閣を固辞したことで「参院側で入閣候補を推薦できず、人事での存在感が低下し」(『毎日新聞』14.9.2-22:20、最終更新3日0:20)たことは、安倍さんが必ずしも距離の近くない溝手さんを牽制する好機になったと言えるでしょうか。
政審会長ポストの側近以外への開放も、参院に対する優位を改造で十分に確保し、余裕を持ってバランスを取ったものだったと言えるでしょう。
なお、改造で脇さんとともに「入閣の方向」(『毎日新聞』14.9.1-15:00、最終更新同日17:47)だったものの実現しなかった岩城さんが議員副会長に処遇されたのは、それを慰撫するものだったでしょう。
ところで、これまで政審会長は政調会長代理を兼任することが通例だったものの、鶴保さんはそれを兼ねていません。
参院からは宮澤、野村両政調会長代理が専任で輩出されていますが、これからは何を考えられるでしょうか。
実は近年の政審会長では11年に就いた岩城さんが政調会長代理を兼ねておらず、兼任制は安倍さんの総裁復帰に伴う翌12年人事で側近の世耕さんが政審会長になった際に復活。
それは都度指摘している安倍さんの政調重視の一例に挙げられますが、同時に、安倍さんの参院への関与の程度を表しているとも言えるかもしれません。
すなわち側近の山本さんが政審会長を退任して岩城さんに交代した11年は中曽根さんの主導権が後退してそれと通じる安倍さんの影響力も相対化していたのであり、逆に12年10月の兼任制復活には総裁に復帰した安倍さんの意向が反映したのでしょう。
そして今回の政調会長代理兼任解消は、政審会長ポスト開放と同様、参院に対する優位と余裕を得た安倍さんが、それ故に参院への関与を敢えてそれ以上には強めず、むしろ自重した結果だったかもしれません。
安倍さんは溝手さんが麻生派所属で保守系の鴻池元防災担当相と争った13年議員会長選挙では、党内で非主流派だった10年選挙とは一転、関与を控えて三派を中心とする参院の秩序を容認していますが、それは総裁として、参院が混迷するのを嫌ったのだったのでしょう。
それや今回の政審会長ポストの扱いは、安倍さんが参院への対応で優位を図りながらも慎重を期していることを物語るものであるに違いありません。
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