tearfaceさまのブログより転載させて頂きました。
(以下、転載記事)
バルチック艦隊と対馬の人々
- 作家 元国際線乗務員 黒木安馬
- 第132回 2012年01月27日
チョンマゲと刀の維新からまだ36年目、この戦争に負けたらロシア植民地になる小国と見られていた日本が、対馬沖でバルチック艦隊38隻を撃沈し世界中をアッと言わせる。ロシア軍は戦死4,830名、捕虜6,106名の惨敗、世界戦史に残る一方的大勝利。捕虜は波間から日本軍に救命され、沿岸に流れ着いた者も住民に保護された。
チョンマゲと刀の維新からまだ36年目、この戦争に負けたらロシア植民地になる小国と見られていた日本が、対馬沖でバルチック艦隊38隻を撃沈し世界中をアッと言わせる。ロシア軍は戦死4,830名、捕虜6,106名の惨敗、世界戦史に残る一方的大勝利。捕虜は波間から日本軍に救命され、沿岸に流れ着いた者も住民に保護された。日本は文明国であると国際社会にアピールするためにも戦時国際法に極めて忠実で末端の水兵にまで徹底されていた。国際法を遵守した武士道日本には世界から賞賛が寄せられた。
1905(明治38)年5月27日、対馬の島民は洋上の地響に何事かと想像した。翌昼、村人たちは、浜辺に着いたボート4隻から男たちが草の急斜面を登って来たのを初めて見た。油とススまみれ血だらけで息を切らしている者、数え切れないほどの負傷兵。恐怖の中にも同じ人間として哀れを感じた。
総勢163名の兵を連れて西泊の村に帰り着くと、汚れた服を脱がせて洗い、大切な着物を持ち出して着せた。コメを持ち寄って握り飯や芋を炊き出しした。島の巡査は、日本が同盟を結んでいる英国の兵隊だから安心せよ!と村人を落着かせた。
泊めるだけでも小さな漁村で布団は無く、手分けして納屋で蚊帳や帆を掛けてムシロで寝かせた。兵たちは敵国で迫害を受けるのを覚悟で上陸したのに、家族のような親切と不眠不休のおもてなしに感激した。兵たちはルーブル銀貨やソブリン金貨数十枚をお礼に無理やり渡した。
その後、大海戦で戦った敵国ロシア軍の敗残兵だと分かったが、村人にとってそんなことは同じ人間としてどうでも良かった。翌日、本土の捕虜収容所に輸送するため日本海軍の船が到着。27時間にも満たない短い出来事だったが、ロシアの水兵たちは広場に整列、村人たちに最敬礼して、“スパシーボ!”を繰り返しながら涙で顔をくしゃくしゃにし、村人たちも彼らを乗せた船が波間に見えなくなるまで見送った……。
私が対馬を訪問した時に頂いた冊子、この時の子孫、犬束通さんの『妣(はは)と記念碑』からの要約である。
この村人の応対に感動した連合艦隊司令官東郷平八郎は、「恩海義?」と書して西泊村民の美挙をたたえた。この直筆の記念碑は日露友好の丘・殿崎に、人類愛と世界の恒久平和を未来永劫に発信し続けるべく今日も日本海を見据えて静かに建っている。
この海戦の15年前に紀伊半島串本で嵐で遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」を命がけで救った村民の美談は今日でもトルコの教科書に書かれ、日本はトルコ国民に尊敬されている。果たして、対馬の美談は、ロシアではどう伝えられているのだろうか? いや、わが祖国では、どれだけの日本人がこの対馬の逸話を知っているだろうか?
孔子に弟子が問う、「一生それを守っていれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか?」 孔子は「それは恕(じょ)かな」と答える。自分がされたくないことは人にしてはならない、自分のことと同じように人のことを思いやり、他を受け入れ、認め、許す心。まさに、おもてなしの心。人生で一番大切なことだと教えている。
少子高齢化、右肩下がりの我が祖国、それでも誇りを持って今後とも世界に輸出できるのは、この“恕・Hospitality(おもてなし)”であろう。
私が対馬を訪問した時に頂いた冊子、この時の子孫、犬束通さんの『妣(はは)と記念碑』からの要約である。
この村人の応対に感動した連合艦隊司令官東郷平八郎は、「恩海義?」と書して西泊村民の美挙をたたえた。この直筆の記念碑は日露友好の丘・殿崎に、人類愛と世界の恒久平和を未来永劫に発信し続けるべく今日も日本海を見据えて静かに建っている。
この海戦の15年前に紀伊半島串本で嵐で遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」を命がけで救った村民の美談は今日でもトルコの教科書に書かれ、日本はトルコ国民に尊敬されている。果たして、対馬の美談は、ロシアではどう伝えられているのだろうか? いや、わが祖国では、どれだけの日本人がこの対馬の逸話を知っているだろうか?
孔子に弟子が問う、「一生それを守っていれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか?」 孔子は「それは恕(じょ)かな」と答える。自分がされたくないことは人にしてはならない、自分のことと同じように人のことを思いやり、他を受け入れ、認め、許す心。まさに、おもてなしの心。人生で一番大切なことだと教えている。
少子高齢化、右肩下がりの我が祖国、それでも誇りを持って今後とも世界に輸出できるのは、この“恕・Hospitality(おもてなし)”であろう。