『報道を斬る! (旧デイリー・メディアチェック)』(nifty ココログ)より転載させて頂きました。
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受験生、読んではいけない朝日新聞「天声人語」、 確実に大学に落ちるよ!
今週の週刊文春の適菜 収さんのコラム、「今週のバカ」良かったです。
ネットで検索して読んでみたら、2月22日のお題は「猫の背中に光る春」。冒頭は猫の仕草や佇まいが俳句心をくすぐるという話。
<叱られて目をつぶる猫春(はる)隣(となり)>
<仰山に猫ゐやはるわ春(はる)灯(ともし)>
<叱られて目をつぶる猫春(はる)隣(となり)>
<仰山に猫ゐやはるわ春(はる)灯(ともし)>
と久保田万太郎の句を紹介するところまではいい。
しかし猫の存在を迷惑に思う人もいるという話に続けて、「飼い猫でもなければ、そこそこ目立つ動物が住居ひしめく場所で生きるのは難しい。
そこで不妊去勢の手術を施して、猫とご近所との共生を探る人たちが増えている」とある。
何回読んでも意味不明。
野良猫は生き延びるのが難しいという前段と、野良猫が繁殖して困るという後段のどこがどう繋がるのか?
さらに高浜虚子の句<春寒く子猫すり寄る夕べかな>を引用。
「飼うにせよ地域でかわいがるにせよ、責任がかかせない。そんな一句と読み取りたい」だって。
バカですか?
虚子の句は春になりかけのまだ寒い時期に、子猫のような頼りない存在を重ねあわせてわずかな温もりや寂しさにも似た感情を表現したものだろう。どこをどう読み違えれば、猫に対する責任の句になるのか。
その翌日の「天声人語」も完全にイカれていた。御題は「沖縄が映す『民主主義』」。
冒頭で「天気図もなかった昔、荒れる海をなだめようと様々なものが海中に捧げられた。
平安前期の船旅をつづった『土佐日記』にも、筆者の紀貫之が大荒れの海に鏡を投げ入れるくだりががある」と紹介。
神に貴重な鏡を奉ることにより海を静めたという話だが、「昔読んだそんな話を、沖縄、辺野古の海に巨大なコンクリートブロックが投げ込まれている記事を見て、思い浮かべた」と繋ぐ。
冒頭で「天気図もなかった昔、荒れる海をなだめようと様々なものが海中に捧げられた。
平安前期の船旅をつづった『土佐日記』にも、筆者の紀貫之が大荒れの海に鏡を投げ入れるくだりががある」と紹介。
神に貴重な鏡を奉ることにより海を静めたという話だが、「昔読んだそんな話を、沖縄、辺野古の海に巨大なコンクリートブロックが投げ込まれている記事を見て、思い浮かべた」と繋ぐ。
え?
供え物としての鏡と工事の為のコンクリートブロックは投じる目的が完全に違う。続いて、沖縄の民意が黙殺されているという話になり、「鏡の話に戻れば沖縄は鏡だと思う。賛同者には厚く、異なる意見には冷ややかな現政権の『民主主義』をはっきりと映す。埋め立てより沖縄との溝を埋める努力が先であろう」と落とす。
現政権に問題があるのは事実だけど、この文章は支離滅裂。
沖縄を「鏡」に喩えるなら「(政治的に)荒れる東シナ海を静めるため沖縄に犠牲になってもらう」という話にしかならない。
歳時記を適当にめくってやっつけ仕事で、書いているのだろうが、文章が下手とかイデオロギーに汚染されている以前の問題。
偶然読んだ2日分がこれなので、バカな文章が日々垂れ流されているのだろう。
朝日新聞は「文章力、時事力が身につく!」と自画自賛していたけれど、
こんなの読んでいると、確実に大学に落ちるよ。
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