昭和47年に社会を震撼させる事件が起こりました。
詳細な記述があるサイト 「現代事件簿」より
(残酷な記述はありますが、画像はありません)
当時の世の中にはかなり左翼支持者が、「革命」を期待していたのですが、その左翼が支持基盤の層を大きく失った転機でもありました。
このとき日本共産党は知らん顔をしていました。
自分達と関係ない過激派の行為だと言って。
しかし、当時出てきた「国際勝共連合」が宣伝カーでふれ廻ったりビラを撒いたりで、長年眠っていた事実が暴かれ、国民の知るところとなった事件があります。
それが日本共産党によるいわゆる「リンチ殺人事件」です。
これは昭和8年12月、当時、日本共産党中央委員だった宮本顕治らが同志の小畑辰夫氏他1名をスパイだと疑って、酷いリンチを加えた挙句に小畑氏を死亡させて床下に埋めた事件です。
宮本顕治
ウキペディア日本共産党スパイ査問事件
宮本顕治は傷害致死で有罪判決を受け、刑期を終えて出獄のあと、共産党の書記長、委員長、議長を歴任しています。
ところが日本共産党は、これを「スパイ査問事件」と呼び換えて本質をすり替えました。
共産党は小畑氏をスパイと決めつけたうえに、問い詰めたら特異体質で勝手に死んでしまったと言い逃れしているのです。死人に口なしとは言いますが、小畑氏は彼らの世界で一方的に汚名を着せられ、反論することもできません。
さて党首が人を死なせた事件について、共産党側の主張も一応紹介しました。
中国では文革によって、共産党幹部を含むどれほど多くの指導者が殺されたでしょうか。また自由化を求めて北京の天安門広場に集まった学生・市民を共産党政府の指示を受けた人民解放軍が実弾で一斉射撃し、戦車で轢き潰して大勢が殺されています。
ドイツでは西ベルリン(東ドイツの領域にあるベルリンで西ドイツが米・英・仏と統治した地域)へ逃れようとして多くの市民が撃たれました。
共産主義にとって大切なものは、同志を含めて国民の命ではなく、共産主義を実現すること・維持することです。
日本共産党はこの事件(共産党の主張する「スパイ査問事件」)を遮蔽することではなく、宮本顕治を公に批判することによって、西欧型の議会制民主主義の政党に脱皮した姿を示すべきです。
私は年老いた者のつとめとして、昔の出来事を語ります。