釜坂信幸様のブログ『美し国(うましくに)』より転載させて頂きました。
(以下、転載記事)
皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮、ないくう)(一の鳥居)
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
正月とは本来、その年の豊穣〔ほうじょう〕を司る歳神様〔としがみさま〕をお迎えする行事で、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。地方によっては1月20日までを正月とする(二十日正月・骨正月)ところもあります。三が日も今日で終わり、ふるさとへ帰省されていた多くの方々は一路居を構える地へ戻っていかれます。
日本の人口の7割の方々が三が日に神社へ参拝されます。
神社の入り口には鳥居があります。
「鳥居」は神社の象徴となっていますが、これは神社の入口に建つ一種の門であり、神さまの聖域と人間世界との境界を示すものです。
大きな神社では、たいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から順に一(いち)の鳥居(とりい)・二(に)の鳥居(とりい)・三(さん)の鳥居(とりい)と呼んでいます。
鳥居の起源については、はっきりわかってはいませんが、古事記の「天岩戸開(あまのいわとびら)き」では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸にお隠れになられたとき、鶏(にわとり、常世(とこよ)の長鳴き鳥)を止まり木で鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。伊勢神宮の神使いは鶏(にわとり)です。
また語源については「鶏が居る」と書いて「鶏居」という言葉が変化したものと言われています。
「鳥居」は神社の象徴となっていますが、これは神社の入口に建つ一種の門であり、神さまの聖域と人間世界との境界を示すものです。
大きな神社では、たいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から順に一(いち)の鳥居(とりい)・二(に)の鳥居(とりい)・三(さん)の鳥居(とりい)と呼んでいます。
鳥居の起源については、はっきりわかってはいませんが、古事記の「天岩戸開(あまのいわとびら)き」では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸にお隠れになられたとき、鶏(にわとり、常世(とこよ)の長鳴き鳥)を止まり木で鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。伊勢神宮の神使いは鶏(にわとり)です。
また語源については「鶏が居る」と書いて「鶏居」という言葉が変化したものと言われています。
鳥居をくぐるときは、気持ちを静かに、頭を下げてくぐります。他の人の家を訪問するとき、いきなりドアをあけたりしないことと同じです。また、参道を歩くときは、神さまの真正面にあたる中央をはずします。
筆者が近年、多くの神社参拝にでかけていますが、鳥居で一礼、若しくは頭を下げてくぐられる姿はほんの一部の参拝者にしか見受けられません。
古来よりの参拝方法を守っていきたいものです。
筆者が近年、多くの神社参拝にでかけていますが、鳥居で一礼、若しくは頭を下げてくぐられる姿はほんの一部の参拝者にしか見受けられません。
古来よりの参拝方法を守っていきたいものです。
鳥居には大きく分類して二通りの鳥居があります。
以下にその画像を掲示します。
神明鳥居
代表的な鳥居は上記の皇大神宮(こうたいじんぐう)の鳥居です。
以下にその画像を掲示します。
神明鳥居
代表的な鳥居は上記の皇大神宮(こうたいじんぐう)の鳥居です。
神明系の鳥居は、柱、笠木、貫により建立され、柱にはころびがなく原始的で、たて柱、横木とも直線式の形状をしています |
鹿島鳥居(かしまとりい)
春日鳥居(かすがとりい)
八幡鳥居(はちまんとりい)
黒木鳥居(くろきとりい)
靖国鳥居(やすくにとりい)
内宮源鳥居(ないぐうげんとりい)
宗忠鳥居(むねただとりい)
三柱鳥居(みはしらとりい)
明神鳥居
反りのある島木と笠木・貫・額束、内転びのある二本の円柱、亀腹(かめばら)からなる、最も普通に見られる鳥居です。
反りのある島木と笠木・貫・額束、内転びのある二本の円柱、亀腹(かめばら)からなる、最も普通に見られる鳥居です。
稲荷鳥居(いなりとりい)
山王鳥居(さんのうとりい)
奴禰鳥居(ぬねとりい)
三輪鳥居(みわとりい)
中山鳥居(なかやまとりい)
宇佐鳥居(うさとりい)
両部鳥居(りょうぶとりい)
住吉鳥居(すみよしとりい)
筆者は最近この画像を引用させていただいておりますが、注連縄づくりを生業とされている職人さんのものです。
そのHPに記載されている職人さんの注連縄への想いをご紹介したいと思います。
ボクが子供の頃には、
住まいに車、自転車やバイクにまで注連縄が飾られていたのに、
年々その数は少なくなる一方。
形がダサい、面倒くさい、別に気分が正月らしくない…などが理由なんでしょうかね?
住まいに車、自転車やバイクにまで注連縄が飾られていたのに、
年々その数は少なくなる一方。
形がダサい、面倒くさい、別に気分が正月らしくない…などが理由なんでしょうかね?
もともとは、一年の初めに〝災いがないように…〟という理由で身を守るものに祭られることが多かったのですが、その意味合いを知らずして、
〝ただのお正月の飾り〟として、風化していっているような気がしてなりません。その証拠に、最近では海外で作られた輸入品がスーパー等で多く並ぶようになりました。
決して、注連縄はモノじゃない…。
「〝災いがないように…〟と家族の安全を願って祭られる方と、
神様とを繋ぐ〝気持ち〟をカタチにしているだけなんだ!」と、
神様とを繋ぐ〝気持ち〟をカタチにしているだけなんだ!」と、
ボクは、そう思っています。
「神?古いんじゃない?」
「今の時代に合っていない?」
「今の時代に合っていない?」
初詣で、手を合わせる人が今も昔も変わらないのは、
まだまだ、神事を重んじる日本人の心があるからですよね。
まだまだ、神事を重んじる日本人の心があるからですよね。
大切なのは、その気持ち。 例えこの先、 注連縄が〝モノ〟になったとしても…、 風化していったとしても…、 神事を重んじる日本人の心を 注連縄を通して継承していけたらなぁ…と思っています。 |