釜坂信幸様のブログ『美し国(うましくに)』より転載させて頂きました。
私が心よりお慕い申し上げた先帝陛下です。
あのとき、国民が正月を祝う期間を耐えて耐えてくださった陛下。
最後の最期までご尽力いただきました。
(以下、転載記事)
在りし日の先帝陛下と香淳皇后 御真影 【笹川良一】天皇陛下崩御 今日一月七日は昭和天皇祭です。 先帝陛下が崩御あそばされてから二十七年になります。 先帝陛下の御遺徳を偲び、皇室の彌榮を祈念します。 やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど 昭和六十三年に、「全國戦没者追悼式八月十五日」と題されて詠ませられた畏くも、昭和天皇陛下の大御歌(おおみうた)です。 陛下最晩年の大御歌であり、公に発表された大御歌でこの後に詠まれた御歌は二首のみです。 畏くも、昭和天皇陛下のお嘆きの深さを痛感致します。 ご病状も進み、那須の御用邸でご療養中であられたにもかかはらず、八月十五日の『全國戦没者追悼式』にヘリコプターで移動あそばされ、御親覧あそばされたのであります。 畏くも、昭和天皇陛下はそれほどまでに戦没者に対する慰霊と感謝の思いをお持ちになっておられたのであります。有難き限りであります。 畏くも、昭和天皇陛下はこの2年前に、 この年のこの日にもまた靖國の みやしろのことにうれひはふかし と詠まれあそばされ、必死の力をふりしぼり全國戦没者追悼式の壇上にのぼられたのであられました。 六十三年間もご在位になり、この全く異例の恐れ多い最後の國事に対しての御製になったことは臣下として全く申しわけなく思います。 出雲井晶さんは、「『やすらけき…』を拝誦しますとき、申しわけなさに身のちぢむ思いがするのは私だけではないでしょう。…國民みなが思し召しを自分の問題としてとらえ、無私の大御心をみならおうと努めるとき、現今の様々な危機的状況は次第に消えましょう。 わが國の本当の姿である『明き清き誠の心』がみなにあらわれ、わが國は新しくよみがえりましょう。天上にいます昭和天皇にご安堵いただける日のくることを祈らずにはおられません。」(『昭和天皇』)と書かれています。 大東亜戦争終戦後、先帝陛下はマッカーサーは戦後、11回にわたり会談あそばされた。 しかし、マッカーサーが解任されたとき先帝陛下はアメリカ大使館を訪問あそばされ、別れの挨拶をされました。 しかし、マッカーサー離日の日、GHQからの要請にもかかわらず、先帝陛下は見送りにいかず侍従長遣わされたのみでした。 昭和39年マッカーサーは84歳で死去し、バージニア州のノーフォークにはマッカーサー記念館が建設されました。 昭和50年、先帝陛下は訪米されました。このときマッカーサー記念館から記念館来訪と墓参の要請がきましたが、先帝陛下はこれを断りあそばされた。マッカーサーの未亡人から改めての要請の手紙がきましたが宮内庁はこれを拒みました。 訪米あそばされた先帝陛下はワシントンの歓迎行事を前にウイリアムバーグで2日間の休養をとられましたが、この町からマッカーサー記念館まで車でわずか40分の距離にありました。それでも先帝陛下は記念館には出御あそばされませんでした。 GHQは民主主義を米国が日本に持ち込んだと盛んに刷込みました。 現在でもマッカーサー信者がわが国にも存在します。 しかし、訪米を前に外国人記者団に昭和天皇陛下は次のように叡慮を述べられています。 記者「戦後の日本の民主化、皇室自体の変化、婦人や労働組合の変化など具体的な問題をどう考えられますか」 明らかにマッカーサー及び、米国の悪意ある占領政策を否定された先帝陛下。 國父の大御心、臣民知らず、最も恥ずべきことであります。 國家のことに一身に背負われるのは、行政の長、内閣総理大臣でも、政治家でもありません。肇國以来、天皇陛下ただお一人なのです。 先帝陛下の御製、 やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど 心ある臣民の皆様には、今一度熟考いただきたい。 【皇室】 昭和59 [1984年] 春の皇居 『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』 終戦の翌年詠まれた先帝陛下の大御歌(おおみうた)です。 深い雪に覆われても時が来れば青々と茂る松の木を 雄々しき日本人に例え、今の苦しみを耐えて再び隆盛とならんと鼓舞されたもので、同時に日本人が日本人らしさを失わぬようにと願われたのです。 畏くも今上陛下におかれましても、先帝陛下と大御心は同じであられます。 国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された靖国神社。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。 靖国神社には現在、幕末の嘉永6年以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。 消防殉職者五千六百五十四柱、自衛隊殉職者千七百七十七柱(平成18年現在)殉職警官、千六百八十五柱(平成18年現在)彼らは皆、祖国、国民を信じ、悔いなく亡くなられた。 自己の命を捧げて悔いなきものをもつことこそ、悲しいことですが、生の最高の充実です。 多くの方々は「後は頼む」と残され亡くなられた。 はたして、残った我々は、「後は頼む」との約束を守っているでしょうか? 先帝陛下は決死の覚悟で国民を救われた。 『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』 祖霊(それい)御霊となられた、多くの先人・先達は望まれているのではないでしょうか・・・ |