なでしこりん様のブログ(言論統制のアメーバブログ)より転載させて頂きました。
このブログ(不死鳥復活サイト)のURL: http://ameblo.jp/nadesikorin-fight/
(以下、転載記事 ↓のタイトルをクリックして元記事に行けます)
パラオがんばれ!パラオの干ばつ被害に対して日本の外務省の迅速な対応、グッジョブ!
2016-04-05 20:34
.....『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』のお話はご存知ですか?
........反日国家・中国に無駄なODA300億円よりもパラオに貯水池を!
.....なでしこりんです。記事にはしていなかったのですが、「パラオの干害」については心配されている方も多かったと思います。今日、外務省が動いてくれました。最近の日本政府の対応は迅速ですばらしいですね! 2013年11月、パラオを襲った台風30号の被害の際は外務省の対応にやきもきして、「パラオ草の根募金」を呼びかけたりもしました。
.......................
.....その時には皆様のお力添えもあり、最終的には4000万円を超える義援金をパラオ政府に贈ることができました。愛国保守の底力を感じました。今回は外務省のすばやい対応に感謝感謝です。パラオは日本にとっても大切な国ですからね! 記事は外務省の「報道発表」からです。
........................
....パラオ共和国における干ばつ被害に対する緊急援助
.....1 4月1日,我が国政府は,パラオ共和国において発生している干ばつ被害に対し,同国政府からの要請を受け,国際協力機構(JICA)を通じ,緊急援助物資(ポリタンク,簡易水槽及び浄水器)を供与することを決定しました。
.....2パラオでは,一般的に11月から4月にかけて乾期にあたり,例年,降雨量が少ないものの,特に本年は昨年からのエルニーニョの強い影響により極端な水不足が発生する厳しい干ばつ状態が続いています。これを受けて,3月22日,レメンゲサウ大統領は干ばつによる非常事態宣言を発出しました。
.....3我が国としては,我が国とパラオとの長年の友好関係に鑑み,干ばつ被害に対する人道支援のため緊急援助を行うこととしました。http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003183.html
........
.............................................................写真はイメージ 現地のものではありません
.....今回、緊急援助物資として送られることになった簡易水槽及び浄水器がどのようなものかはわかりませんが、できれば「海水をろ過できる装置」だったらいいですね。5月以降は雨季になるようですから飲み水の心配はなくなるようですが、将来的には「貯水池や浄水場」などを整備すべきでしょう。外務省は反日国家・中国に年間300億円もODAをやるなら、パラオに貯水池・浄水場ぐらい建ててあげればいいのに。 By なでしこりん
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........日本とパラオといえば「この話」を抜きには語れませんね。
...太平洋戦争当時、パラオにあるペリリュー島を守備していた日本軍10695名の日本兵が戦死しました。 アメリカ側も1794名が戦死し、8010名が負傷しました。ところが、ペリリュー島にいたはずの「パラオ人の死亡者はゼロ」。パラオ人たちは島の安全な場所に隠れていたのでしょうか? いいえ、違います。 その荘厳なる事実は戦後になってから判明しました。
以下、船坂弘著『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』から・・・・。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに・・・・・見せかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼らは悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・・・。
『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』船坂弘著(1967年) より
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.................チェスター・ニミッツ提督が献じた石碑の日本語版
........反日国家・中国に無駄なODA300億円よりもパラオに貯水池を!
.....なでしこりんです。記事にはしていなかったのですが、「パラオの干害」については心配されている方も多かったと思います。今日、外務省が動いてくれました。最近の日本政府の対応は迅速ですばらしいですね! 2013年11月、パラオを襲った台風30号の被害の際は外務省の対応にやきもきして、「パラオ草の根募金」を呼びかけたりもしました。
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.....その時には皆様のお力添えもあり、最終的には4000万円を超える義援金をパラオ政府に贈ることができました。愛国保守の底力を感じました。今回は外務省のすばやい対応に感謝感謝です。パラオは日本にとっても大切な国ですからね! 記事は外務省の「報道発表」からです。
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....パラオ共和国における干ばつ被害に対する緊急援助
.....1 4月1日,我が国政府は,パラオ共和国において発生している干ばつ被害に対し,同国政府からの要請を受け,国際協力機構(JICA)を通じ,緊急援助物資(ポリタンク,簡易水槽及び浄水器)を供与することを決定しました。
.....2パラオでは,一般的に11月から4月にかけて乾期にあたり,例年,降雨量が少ないものの,特に本年は昨年からのエルニーニョの強い影響により極端な水不足が発生する厳しい干ばつ状態が続いています。これを受けて,3月22日,レメンゲサウ大統領は干ばつによる非常事態宣言を発出しました。
.....3我が国としては,我が国とパラオとの長年の友好関係に鑑み,干ばつ被害に対する人道支援のため緊急援助を行うこととしました。http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003183.html
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.............................................................写真はイメージ 現地のものではありません
.....今回、緊急援助物資として送られることになった簡易水槽及び浄水器がどのようなものかはわかりませんが、できれば「海水をろ過できる装置」だったらいいですね。5月以降は雨季になるようですから飲み水の心配はなくなるようですが、将来的には「貯水池や浄水場」などを整備すべきでしょう。外務省は反日国家・中国に年間300億円もODAをやるなら、パラオに貯水池・浄水場ぐらい建ててあげればいいのに。 By なでしこりん
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........日本とパラオといえば「この話」を抜きには語れませんね。
...太平洋戦争当時、パラオにあるペリリュー島を守備していた日本軍10695名の日本兵が戦死しました。 アメリカ側も1794名が戦死し、8010名が負傷しました。ところが、ペリリュー島にいたはずの「パラオ人の死亡者はゼロ」。パラオ人たちは島の安全な場所に隠れていたのでしょうか? いいえ、違います。 その荘厳なる事実は戦後になってから判明しました。
以下、船坂弘著『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』から・・・・。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに・・・・・見せかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼らは悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・・・。
『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』船坂弘著(1967年) より
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.................チェスター・ニミッツ提督が献じた石碑の日本語版