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Channel: くにしおもほゆ
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『題名のない音楽会』 と黛敏郎先生のこと [再掲]

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『題名のない音楽会』は1964年に、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにという趣旨のもとでスタートしました。
黛敏郎先生は開始時から1997年までの長年、この番組の司会をされて、音楽というものをいろんな角度から解説しています。
この番組を通じてクラシック音楽が好きになった人も多く、クラシック音楽の普及に大きな功績がありました。
また当時の若手音楽家に大きいインスピレーションを与えました。
現在の番組司会者で日本を代表する指揮者でもある佐渡裕さんも「新進若手指揮者」として黛先生から紹介され出演したこともあります。

平凡な私にとっては、軍歌、行進曲などの解説が印象に残っています。
西南戦争でできた軍歌「抜刀隊」は敵将(西郷隆盛)にも敬意を払う軍歌としては珍しい歌詞だということも教えてくれました。
(「抜刀隊」の歌詞。映像は馬上で閲兵される昭和天皇)
 
イメージ 1
 
ちなみに偉大な作曲家の多くが民族主義に回帰しています。
スメタナ、ドボルザーク、ハチャトリアン、バルトークなど、いくらでも。
日本人だからと言って例外である筈がありません。
黛先生は、モダンジャズやミュージック・コンクレート(身の周りの音を収録、加工して組み立てる)から電子音楽に進み、そして日本の梵鐘に、声明(しょうみょう)の美しさに魅せられました。
先生こそ和魂洋才を実践された方と言えるでしょう。
最高傑作の『涅槃交響曲』 は心の中に宇宙を感じさせる響きです。
 
番組では日本の良さ、日本人であることの誇りなど、折りに付けて説いておられて、時にはテレビ局が放送しなかったこともあったようです。
 
 
ところで昭和天皇がヨーロッパ諸国を歴訪された際、行幸の先々で雨天が突然晴天になるという現象が続いて現地の人を驚かせたようです。
私も、偶然とはいえあまりにも不思議なことがあるものだと驚いたものです。
当時たまたま参加したある集会に黛先生が来賓としてスピーチをされたのですが、
私と全く同じ気持を古歌(柿本人麻呂)でズバリこう表現されました。
「おおきみは神にしませば、天雲の、いかづちの上にいほりせるかも」

今でこそネット社会で誰でも何でもほとんど自由に言えますが、
当時の世相で、大聴衆を前に言い切った先生は大きい勇気をお持ちだと思います。
 
写真に向かって、静かに話しかけます。
黛先生、私は番組を見ていた一視聴者です。音楽関係の者ではありませんが、先生の遺志は微力ながら私も自分の方法で次の世代に伝え遺します。
 
蛇足ながら、この曲も先生の作品なんですね。私も驚きました。
『スポーツ行進曲』(プロレスや野球の中継でお馴染み)
 
 
音楽ファンの方々へ。
涅槃交響曲について、詳しい解説は、maskball2002さまのブログ「輝きの時〝Cary out your life! 〟」の記事「黛敏郎「涅槃交響曲」」をお勧めします。


最後に
先生が入院されていた病院長の哀悼の談を以下に貼ります。
・・・・・・・・・・・・・・・
それから入院して手術、化学療法、副作用等々いろいろな苦痛が彼を襲いましたが、彼は終始ひとつも泣き言を言いませんでした。

仕事の方も当然のことのように続け、「題名のない音楽会」の録画には病院から何度も出掛けました。注射針を入れたまま録画に行ったこともありました。

オペラ「古事記」の初演にどうしても立ち会いたいといって、オーストリアのリンツにも行きました。日程に合わせて輸血その他の処置で体調を整え、彼は病院から直接飛行場へ向かいました。帰国したときは、さすがにへとへとになっていました。私は彼の手を取って心の中でまた泣いていました。

彼は終始敢然として病に立ち向かいました。かつて中学一の美少年といわれた、あの黛君のどこにこんな強さがあるんだろうか。僕はこんな立派な患者さんを見たことがありません。

毎日のように病院に見えて彼を支え、共に闘っておられた立派なご家族にも心から敬意を表しつつ、黛君のご冥福を祈りたいと思います。

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