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日本の誇りがまたひとつ増える。「東寺百合文書」がユネスコの記憶遺産に

京都の東寺(とうじ)といえば、新幹線の車中から五重の塔が見えることでお馴染みですね。
「東寺百合文書」(ひゃくごうもんじょ)は東寺に伝えられた平安時代・鎌倉時代を含め2万5000の古文書で、現在は京都府立資料館が買い取って、保存をしています。
 
世界各地に伝わる古文書などの保護を進めるユネスコの「記憶遺産」に、この「東寺百合文書」が日本から推薦されることになりました。
保存と公開を両立させていることも、重要なアピールポイントらしくて、二年先には恐らくユネスコで正式決定の運びになると思います。
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世界記憶遺産 東寺百合文書 保護と公開に努めた努力実る

2013.5.22 13:50
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ユネスコ記憶遺産への推薦が決まった国宝「東寺百合文書」の中の「永仁の徳政令」に関する資料(府立総合資料館提供)
 
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に推薦されることが決まった国宝「東寺百合文書」。府が昭和42年、1億3千万円を投じて東寺から購入し、保護に努めてきた。地方自治体所蔵の文化財として、初めて国宝指定を受けたこともあり、今回の推薦決定は府関係者の長年の努力が実った形だ。府立総合資料館は今年度中にデジタル画像化を進め、ホームページで公開する方針。
 東寺百合文書は、江戸時代の貞享2(1685)年に加賀藩主・前田綱紀が、文書を保管するための約百箱の桐箱を寄進したのが、その名前の由来とされる。平安時代から東寺に伝わった約2万5千点の文書が収められている。
 特に、鎌倉幕府が発した日本で最初の徳政令とされる「永仁の徳政令」については、唯一の資料とされ、多くの歴史教科書で引用されている。永禄11(1568)年、織田信長が京都に入り、東寺を宿所とした際の資料も価値が高いという。
 流出を防ごうと、昭和42年、府が1億3千万円で東寺から購入。当時、巨額の出費について、府議会で多くの議論が交わされたという。
 府立総合資料館は、文書の修復を行うとともに、図録を刊行したり、マイクロフィルム化するなど、資料の公開を進めた。その結果、広く研究の題材になり、論文などでの引用は千件を超えたという。55年6月、重要文化財に指定され、平成9年、国宝に指定された。
 府立総合資料館は、平成25年1月からデジタル画像化に取り組んでおり、今年度中にホームページで公開する方針。(栗井裕美子)
 
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(以上、本文)
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