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[転載] 「NHKで幹部に昇進した在日が4人李紀彦・玄真行・田容承・朴元瑛源」?:NHK解体!!!

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NAZCOさまのブログ『NAZCO☆中川図画工作所』より転載させて頂きました。
 
(以下、転載記事)
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「NHKで幹部に昇進した在日が4人李紀彦・玄真行・田容承・朴元瑛源」?:NHK解体!!!

リンク先:「NHKで幹部に昇進した在日が4人李紀彦・玄真行・田容承・朴元瑛源」?: NHK解体!http://nhkkaitai.seesaa.net/article/355914476.html





「放送法」第4条に違反した番組を放送し続けるNHKの受信料支払を拒否し、NHKを解体し、本来あるべき公共放送を取り戻しましょう。
NHK職員の平均年収1780万円。NHK会長、NHK経営委員会委員長の年間報酬は3192万円で、総理大臣より多い。国民の受信料が原資となっている(2013年3月現在)。親韓反日の広告代理店に支配され、近年朝鮮半島から渡日してきた外国籍の職員が入り込んでいる。その親韓ぶりは目をおおうばかりである。
「NHK受信料拒否」は、日本を再生させるために、日本の公共放送・日本のマスコミを立て直すために、常識ある普通の日本人ができる有効な手段なのです。


NHKで幹部に昇進した在日が4人

李紀彦・玄真行・田容承・朴元瑛源?




 読者の方から、韓国人ディレクター「田容承」(チョン・ヨンスン)について教えていただき、少し調べてみました。

ネットで、「NHKで幹部に昇進した在日が4人李紀彦・玄真行・田容承・朴元瑛源」という情報が流れていた。果たして、この4人がNHKで幹部に昇進したのかどうか、確認することはできなかったが、NHKにかつて在職していたり(朴元瑛源)、NHKで放映された番組のディレクターを務めていたことは確認できた(李紀彦・玄真行・田容承)。NHKが韓国人や在日朝鮮人のディレクターをよく使っていることはわかった。

NHK幹部.png

しかし、少なくともこの中の朴元瑛源(えのもとえいげん)は、子会社「NHKエデュケーショナル」にNHKから出向中、児童買春のため警視庁に逮捕され、東京簡裁から罰金50万円の略式命令を受け、2007年6月26日付けで懲戒免職処分になっていて、少なくとも現在、NHKに在籍していない「はず」である。もし在籍していたら、性犯罪者を復職させたことになり、大問題である。

NHK子会社社員の児童買春:懲戒免職処分に

2007.06.20 毎日新聞社東京朝刊 28頁 社会
面 

NHKは19日、児童買春禁止法違反容疑で逮
捕された子会社「NHKエデュケーショナル」
語学部の朴元瑛源チーフプロデューサー(34
)=NHKから出向中=を、26日付で懲戒免
職処分にすると発表した。11日に東京簡裁か
ら罰金50万円の略式命令を受け、NHKの調
査にも犯行を認めたという。5月31日、高校
1年の女子生徒に現金4万円を払ってわいせつ
な行為をしたとして、警視庁に逮捕された。


次に、田容承(チョン・ヨンスン)であるが、韓国・ソウル出身の韓国人ディレクターである。この人物はテレビ朝日のディレクターでもあったが、NHK「プロジェクトJAPAN」の一環である、ETV特集: シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」も担当している。NHKは、なぜ韓国人ディレクターを使ったのか、と放送当時から疑問が呈されたようである。この番組放映当時、来日して8年だったとのこと。

ETV特集「日本と朝鮮半島2000年」 NHKは韓国人に乗っ取られたのか?
韓国朝鮮のマスコミ侵略

次に、李紀彦だが、NHKの「よみがえる海峡を越えた絆・朝鮮通信史400年」という番組を担当したらしい。

最後の玄真行は在日韓国人2世。プロフィールに「1958年、東京生まれ。父母は、韓国済州島出身。」とある。東京ビデオセンターなどに所属しているらしいので、NHK職員ではなく、外注先ではないかと推測される。

http://www.tvc-net.com/shas/director.html
◆プロフィール◆
1958年、東京生まれ。父母は、韓国済州島出身。
兄と2人の姉を持つ末っ子の玄に、父は、「自分のやりたいことをやれ」と言って聞かせていた。そんな父が高校2年の時、癌で急逝。ものを表現する自由な仕事をしたいと作家を夢見ていた玄は、家を出て、バイトをしながら受験勉強を続ける。母が影で支えてくれた。早稲田大学第2文学部に学び、84年テレビの制作会社テレコム・ジャパンに入社。活字志向だった玄にとって、テレビは未知の世界だった。そんな時、脳裏に浮かんだのが、遠い日、テレビを見て泣いていた母の姿。母は読み書きができない。でも、テレビは見られる。“お袋が泣くようなものを作っていこう”これが原点となり、今へ続くドキュメンタリー作家としての玄の支えとなっていく。
精力的な創作活動が評価される中「在日だから撮れる」との声に反発、「人間として人間を撮りたい」と“一番”を目指し、90年フリーに。和歌を詠む台湾老人に“言葉って何?”と問う「台湾万葉集?命のかぎり詠みゆかむ?」で数々の賞を受賞。初めて“これが自分の作品”といえるものとなったという。96年にはクリエイティヴ・ネクサスのチーフディレクターとなり、優れたドキュメンタリーを発表し続けてきた。
在日コリアンのための老人ホームを撮った「故郷の家」では、半年間在日一世を追い続け、母の姿を重ねた。作品が出来上がった時、母にやさしくなれた自分に気付き“ドキュメンタリーを撮ることは、人間として自分をマシにしてくれる”と思うようになったという。
節目の20年目、再びフリーとなって韓国に渡り、取組んだ「シャウト オブ アジア」。初の劇場公開作品である。





HV特集 この国を見つめて「新在日外国人」
 玄氏の両親は在日1世だ。自らの意思でなく”日本”にやってきて、玄氏は小・中・高・大学と日本語での教育を受けた。国籍は「韓国」で、パスポートにも韓国名が記されている。だが、彼は韓国語が出来ない。

彼の仕事の後輩=ジョン・ヨン・スンは韓国人で、日本で映像の仕事に携わっている。ジョンにとって韓国で映像の仕事をする事よりも、大変でも他国で仕事をする事のほうが面白い・・・・そう考えて日本で仕事をしているのだそうだ。
最初ジョンにとって、在日韓国人にどう接したら良いのか、わからなかったし、玄氏のパスポートの韓国名にも驚いたそうだ。日本で暮していても「日本人」にはならない。





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