Quantcast
Channel: くにしおもほゆ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8894

能へのお誘い (第11回武家社会と能)

$
0
0
能は600年前の室町時代に、観阿弥・世阿弥の父子によってそれまでの神事・農民の芸能など多くの要素を統合して大成されます。たちまち将軍足利義光を魅了して幕府の保護を受けます。
 
イメージ 2
        これは現代の能とは少し違いますが、当時の観劇の様子です。
 
将軍をはじめ多くの武将の前で何度も能が演じられたことでしょう。
武骨な武将たちも自然に能に魅せられていったことと想像します。
一方、能役者たちも将軍とその周囲の影響で高い教養を身に付けてゆきます。
能楽は将軍家から守護大名を経て地方に拡がり、そして室町幕府が滅んだ後も、能楽は戦国大名に受け継がれてゆきます。
能舞台はシテ(主役)やワキらが出入りに橋掛かり(歌舞伎では花道になる)を通る以外は右手奥の小さい木戸口を通ります。刀をさしたままでは通りにくいでしょう。茶室に似てますね。刀の替わりに扇を身に付けます。
能そのものは能役者でしか出来ませんが、仕舞などは武士も自分で楽しんだと思われます。
 
織田信長が京都の本能寺で襲撃を受けた際、寝間着のままで自ら槍を持って戦い、もはや勝ち目がないと悟ると、奥に入って好みの能「敦盛」の中の一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」と吟じて舞った後に火を放って自害したとも伝わっています。史実かどうかは不明ですが、実に信長らしい最後を表わしていると思います。
その部分の仕舞
 奉納だから社殿の方を向いて舞っているのか、それともどちらが正面か分からない方が撮られたのか不明です。手前の方は後見(第9回参照)です。 
 
仕舞は能の見せ場を切り取って装束なしで演じるもので、このまま装束を着ければ即、能のシテの動きです。
 
 
現在の能は600年まえの形をほぼ残していると言われています。
どうしてだと思われます?
それは大衆芸能にならなかったからです。
                           イメージ 1
(いい悪い抜きで)歌舞伎は大衆のウケ狙いでどんどん替わっていったと思います。
能は武家社会をはじめ、貴族社会、寺社の保護のもとにあったので、昔からの芸の伝承が行えた訳です。いまでもお城や大きな寺社には能舞台が残っています。
 
権力に寄り添うなんて、芸人として情けない、なんてお感じでしょうか?
現代の権力はテレビ局ですよ。芸人たちはテレビ局の御意向に沿ったことしか言いません。
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 8894

Trending Articles