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韓国に奪われた「宝の島」 竹島“最後の漁師一家”の思い語り継ぐ

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韓国に奪われた「宝の島」 竹島“最後の漁師一家”の思い語り継ぐ

2013.2.22 11:42(産経west)韓国・北朝鮮
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竹島の日に、竹島の模型を見る左から八幡昭三さんと孫の松山怜さん=22日
島根県松江市の竹島資料室(山田哲司撮影)
 
 アワビやサザエの豊かな漁場として知られた竹島(島根県隠岐の島町)で、隠岐の漁師11人が“最後の漁”を行ってから58年。松江市で22日に開かれる8回目の「竹島の日」記念式典には、父や叔父、兄が竹島での操業を経験した同町久見の自営業、八幡昭三(しょうざ)さん(84)も駆けつけた。「父は竹島を『先祖が見つけてくれた宝の島』と誇っていた。その思いを若者たちに伝えたい」。今回は18歳になる昭三さんの孫も初めて大阪から式典に参加。「若い僕らが竹島を守っていきたい」と誓った。
 
 しかし戦後、その状況は一変する。昭和27年、韓国が日本海に一本の線を引き、竹島を自国領と主張した。「李承晩ライン」だ。
 両国のにらみ合いが続く中、島根県から要請を受けた昭三さんの父、才太郎さんと兄、尚義(かつよし)さんは29年5月、ライン制定後初めて漁師仲間11人で竹島に試験操業に出た。巡視船に守られながらの出漁だった。
 漁を終えた尚義さんは「ワカメは2メートルほど。隠岐の倍の長さがあった。アワビも倍くらい大きかった」と伊三郎さんの話を裏付ける経験談を語ってくれた。しかし、翌月に韓国は竹島に海岸警備隊を派遣し、不法占拠を強めていった。結果、この漁が記録に残る最後の竹島漁となっている。
 
 才太郎さんは、当時の政府に竹島の領有権確立を求める陳情書を出したが、なしのつぶて。「竹島は、無線も電話もない時代に先祖が見つけ、命がけで日本の領土にしてくれた。大切にしなければばちが当たる」と繰り返し嘆く才太郎さんの姿が、昭三さんの目に焼き付いている。だが、事態は膠着(こうちゃく)したまま才太郎さんも尚義さんも亡くなり、最後の漁に出た漁師は全員鬼籍に入った。
 昭三さんは「隠岐でも、竹島の様子を直接見聞きした人間は数少なくなった」と危惧し、小学校での竹島をテーマにした授業で講師を務めるなど伝承に力を入れている。
 うれしい出来事があった。海上保安庁の職員を目指す孫の専門学校生、松山怜さん(18)=大阪市旭区=が「もっと竹島のことを知りたい」と、夜行バスに乗って、式典出席のために松江を訪れた。昭三さんは「頼もしくなった。日本人が守り伝えてきた竹島なので、若い人にぜひ関心を持ってほしい」と力を込めた。
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竹島の漁師のお孫さんの松山怜さんは、遠くない日にまた竹島で漁をしていただきましょう。現状では非常に困難ですが、日本人が結束すれば必ず実現します。
韓国では小学生の内から〝独島〟を守る気概を入れ込んでいるらしいですが、
日本の小学校でこそ竹島についてしっかり教育することから着手して、次は韓国内での嘘教育を止めさせなければなりません。

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