ZEROさまのブログ『日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心』より転載させて頂きました。
(以下、転載記事)
「討ちてしやまん」「欲しがりません勝つまでは」と、何が違う?―【東京社説】「エネ計画政府案 未来を誤る"原発頼み"」に見る恐るべき精神論
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「脱原発原理主義」と言えば、筆頭に挙るのは朝日や毎日の様な全国紙ではなく、地方紙である東京新聞である。尤も、経営主体は名古屋を中心として圧倒的なシェアを誇ると言う中日新聞と同じであるから、痴呆紙、もとい、地方紙でありながら「準全国紙」に近いらしい。
とは言え「原理主義の筆頭」なんてのは、ロクなもんじゃない。「ロクなもんじゃない」と言うのは、その主張=原理の内容故ではなく、「原理を至尊至高としてそれ以外のモノを全く無視してしまう」視野狭窄・思考停止の故、である。それは魂の自由、思想の自由、言論の自由の対極にあるモノであり、究極の「自由からの逃走」でもある。
それでも、自らの自由意思で原理主義に陥るのもまた「思想の自由」の一環なのではあるが、東京新聞の陥った脱原発原理主義は、殊の外痛々しい・…と言うより、大間抜け、だな。
【東京社説】エネ計画政府案 未来を誤る"原発頼み"
2014年2月26日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014022602000174.html
【1】 原発を「重要なベースロード電源」とした政府のエネルギー基本計画案は、将来の原発頼みを明確にうたっている。このまま閣議決定に至れば、目先に惑わされ大計を誤ることにもなりかねない。
【2】 ベースロード電源とは、昼夜を問わず供給し続ける電源。それなしでは、経済も暮らしも立ちゆかない。
【3】 問題は大きく二つある。
【4】 一つは、原発をベースロード電源とすることの危うさだ。
【5】 単純に、また物理的に考えてもたとえば、増え続ける核のごみの処理策もないままに原発を重要な電源として動かし続けてもいいのだろうか。
【6】 また、もし事故があった場合の住民の大規模な避難計画は机上では策定しているが、実際に過酷事故で十万人単位の規模の住民を速やかに避難させることなどできるのだろうか。
【7】 政府案では、原子力規制委員会が規制基準に適合すると認めた場合、原発を再稼働させるとなっている。法律に従えばその通りである。慎重を期すのは当然であり、科学的に十分実証できるとするのなら、いいのかもしれない。
【8】 だが、実証は難しく、国民の不安はなおぬぐいきれていないというのが実情ではあるまいか(*1)。
【9】 再び、経済産業省の官僚たちが机上で考えたプランが動きだすのか、と想像を巡らす国民は少なくないだろう(*2)。
【10】 問題のもう一つは、原発の重視によって失われかねない新技術への意欲、投資の低減である。
【11】 外国ではドイツをはじめ、イタリア、スイスなどが脱原発を表明している。ベース電源としては、太陽と違ってそれこそ昼夜を問わない風力(ドイツ)(*3)また水力(スイス)発電が重視されている(*4)。
【12】 将来、蓄電技術が進めば、ベース電源のありようは、より自然エネルギーに向けられるだろう(*5)し、それこそ国家百年の大計にふさわしい。化石燃料はいずれ底をつき、核燃料サイクルは行き詰まっている(*6)。
【13】 きのうの政府案は再生可能エネルギーの積極的推進を述べてはいる。
【14】 しかし、おおもとのところで原発に頼れば、新たなエネルギーへ踏み出す勢いは大きくそがれる。かつて石油危機の時、日本が世界を牽引(けんいん)するような省エネ技術や環境対策を実現させたことを、今こそ思い出したい(*7)。
【15】 原発に頼らぬことは、夢物語ではないのである(*8)。
【注釈】
(*1) 「国民の不安」しかも「あるまいか」と推測の域を出ない「不安」で、エネルギー政策を決め、停電の危機を容認しようと言うのだから…まったく、原理主義者と来た日には、救いようが無いな。(*2) 「あるまいか」「だろう」、断言できないのは、世論調査結果が芳しくない、という事かな。(*3) 無風の時は、昼夜を問わず1kwも発電しませんが、何か?(*4) 水力は、かつて我が国の発電の半分を占めていた。今は1割程度だが、これは我が国の電力需要が大いに伸びたから。水力は、コスト的にも限定的ながら発電量制御可能である点でも有望有力な自然エネルギー発電だ。但し、我が国ではもはや上限に近い程に開発されている。伸びしろは、あまりないぞ。(*5) 現時点では、試作どころかコンセプトさえ疑わしい。一体、何年後の事だ?第一、太陽光も風力も「発電量は出来高」でしかないから、高効率大容量の畜電技術が開発普及しない限り、ベース電源にすらなり様が無い。現時点で太陽光や風力発電が増えて「喜んで」居られるのは、バックアップしてくれる制御可能な他の発電力、現時点では火力(とちょっとだけ水力)のおかげである。(*6) タイムスパンの混同も甚だしい。電力は現時点でも、明日も、明後日も、連綿として必要なのに。(*7) 「わざと窮地に陥れ」と、主張しているよな。 ならば、ABCD包囲網で石油も鉄鋼も禁輸され、これ以上の窮地は日本史上希な状態に陥って始めた大東亜戦争に、我が国は勝って居らねばならない、のではないかね。(*8) 現時点では、特に我が国の様な島国では、夢物語以上のものでは無い。 ドイツや欧州諸国のいくつかが呑気に「脱原発」なぞ宣言し実施出来るのは、「不足すれば電力輸入出来るから」だ。
やっぱり毎日以下。流石は脱原発原理主義筆頭
さて、如何だろうか。
同じく「エネ計画政府案」を取り上げて糾弾した毎日新聞社説は、以前記事にした。「2012衆院選の自民党公約違反だぁぁぁぁ!」と息巻く社説であったが、その「2012衆院選 自民党公約【抜粋】」も付けて、如何にその「公約違反」なる主張が頓珍漢であるかを審らかにした。
それでも先行記事で取り上げた毎日社説は、「2012衆院選の自民党公約違反」と言う、詭弁・奇弁ながらも「理屈」を付けていた。上掲東京新聞社説と来た日には、①「原発に対する国民の(推測の域を出ない)不安」と、②「夢の新エネルギー開発への意欲を削ぐ」と言う理由で、「原発に頼るな!」と主張する。あまつさえ、石油危機の際の「成功体験」を引用して「日本の技術力」を称賛し、
1〉 原発に頼らぬことは、夢物語ではないのである。
と、断じてしまう。
そりゃ「日本の技術力」は都市という都市は灰燼に帰し、港と言う港は機雷封鎖された大東亜戦争敗戦の惨状から我が国を復興し、「GDP世界第2位」の座に押し上げるほどの「奇跡」を実現したが、それでも魔法や打ち出の小槌では無いのだぞ。
小泉元首相からして、都知事選で「脱原発」を掲げながら「脱原発を掲げるだけで、原発の代替案は出さない」と放言して恥じる処が無いぐらいだ。脱原発原理主義者の東京新聞が、「原発の代替案は出さない」のはある意味「理の当然」かも知れないが、「日本の技術は世界一ぃぃっ!」で上記1〉「原発に頼らぬことは、夢物語ではないのである。」と断言する事は、タイトルにもした大東亜戦争当時のキャッチフレーズ「討ちてしやまん」「欲しがりません勝つまでは」に表れる精神論・必勝論と、何がどれだけ違うのかね。
精神論も、必勝論も、信じるのは勝手だ。
だが、その精神論も必勝論も「日本の技術は世界一ぃぃっぃぃ!」の掛け声も、「国民の総意」も、唯の1kwとて発電してくれる訳では無い。而して一時的でも局地的でも電力需要が電力供給量を上回れば、その場所・その時は停電だ。そこにあるのが大口電力消費者である電気炉だったりすると、停電の間に冷えて固まってしまう電気炉の中身を再び溶融するのに、結構な電力がさらに必要になる(*1)。
だが、その精神論も必勝論も「日本の技術は世界一ぃぃっぃぃ!」の掛け声も、「国民の総意」も、唯の1kwとて発電してくれる訳では無い。而して一時的でも局地的でも電力需要が電力供給量を上回れば、その場所・その時は停電だ。そこにあるのが大口電力消費者である電気炉だったりすると、停電の間に冷えて固まってしまう電気炉の中身を再び溶融するのに、結構な電力がさらに必要になる(*1)。
東京新聞の、精神論・必勝論・脱原発原理主義如きに、我が国のエネルギー政策を、任せられるものかよ。
<注釈>
(*1) それでも「温度管理の失敗」だから、製品の品質低下は免れまい。ひょっとするとそのロットは不良品として廃却だ。