【デスクから】
東京に近づく関西弁、大阪に近づく東京弁
2014.4.6 16:00(産経)[記者の奮闘・葛藤]
地方から出てきた大阪の私立大学に通う男子大学生は大阪暮らし1年。彼に何げなく「ほかす」という言葉を使ってみたら、理解できなかった。聞けば、この1年間、友人同士の会話でも、そんな言葉は聞いたことがないという。
「捨てる」という意味の代表的な関西弁の一つだが、若者の間ではかつてに比べて使わなくなっているのだろうか。似た意味の関西弁に「ほおる」があるが、彼はこれも知らなかった。
そういえば、「せなんだ」「行かなんだ」という言葉もあまり聞かなくなった。最近は「しなかった」「せんかった」「せえへんかった」、「行かんかった」「行かへんかった」というのが普通だろう。
関西の若者の言葉が東京に近くなっているのも事実。冒頭の大学生の周囲では「捨てる」と話しているわけだ。「~しちゃう」もよく聞く。店では「おおきに」より「ありがとうございます」が多い。
ただ一方で、若者の関西弁とでもいうべき「むっちゃ」「めっちゃ」などがあり、これは東京の若者言葉にも影響を与えているほか、中年世代でも結構用いる。ほかに同様の若者言葉として「バリ」(ものすごく)、「きしょい」(気持ち悪い)、「むずい」(難しい)などもあるだろう。
年月がたてば言葉は変わる。その変化を実体験できるほど、歳をとったことに気付く。複雑な心境だ。(大阪総局 張英壽)
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例えば私は京都の生まれ育ちで、親の世代は京都弁を話していました。
しかし私は京都弁は話せず、日常に使っているのは大阪弁などと入り混じった関西弁です。
学校の古典で習う古語は平安時代の言葉がメインですが、奈良時代の言葉はかなり異なるようです。これは(時間的変化というよりむしろ)京都・奈良間の僅かな距離での違いでしょう。
明治以降は交通機関のお蔭で、人は通勤・通学に遠くまで行きます。また転勤や結婚などによる引っ越しで別の文化圏に住むようになります。人の交流がどんどん盛んになって、ラジオ放送、テレビ放送で更に言葉が行きかいます。
一方でそれぞれの地の言葉を大切にしようという動きもあります。
どちらも良いことだと思います。
この両方の流れが混然一体となって進めばいいです。
長い日本列島の各地の言葉迄徐々に混じり合って、100年後の日本ではどのような日本語を話しているでしょうか。