なでしこりん様のブログ(言論統制のアメーバブログ)より転載させて頂きました。
このブログ(不死鳥復活サイト)のURL: http://ameblo.jp/nadesikorin-fight/
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台湾、長栄集団の 張栄発総裁ご逝去の報に接し、謹んで哀悼の 意を表します。
2016-02-01 12:50
日本のマスゴミは中国に遠慮せずに台湾報道しましょうよ!
私たち日本人は台湾の人々たちからの厚意にどう応えればいい?
なでしこりんです。日本のメディアの中には「台湾は中国の一部」という中国共産党の主張に「おもねて」、台湾の情報を遮断する連中がいます。このブログでも以前ご紹介した宮城県南三陸町の「南三陸町病院」の話題。病院の再建 費用の約4割、22億2000万円が台湾からの義援金であったにもかかわらず、そのことを一切報じなかったNHKとかいう放送局がありました。
日本国民の多くは「恩義に厚い国民」のはず。事実が報じられないと感謝の機会さえ奪われてしまいます。ということで、今日も台湾からのニュース。訃報ではありますが、この情報は日本人にとってはとても大切な情報のはずです。記事自体は1月20日のものですが、台湾の人々への感謝の思いを込めてここにご紹介いたします。記事は「フォーカス台湾」からです。
在りし日の張栄発総裁
2012年春の叙勲で旭日重光章を受章した台湾の海運・航空大手、エバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁が20日午前11時5分、亡くなった。88歳。
1968年に中古の貨物船1隻で海運業に参入し、1代で世界的な企業に育てた。89年にはエバー(長栄) 航空を立ち上げ、航空業にも進出。2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付するなど、 長年にわたって日台交流の促進にも寄与した。
1985年には張栄発基金会を設立。医療、教育、文化など、社会への奉仕を続けた。2011年時点で個人の資産は16億米ドルとされるが、張氏は生前、全て慈善事業に使い、子孫には残さないと公言していた。 (フォーカス台湾) http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201601200006.aspx
「落ちぶれて、袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知る」 これは鹿児島県の民謡「串木野さのさ」の一節にあるフレーズですが、きちんと五七五七七になっていますから以前からあった和歌なんでしょう。「南総里見八犬伝」でも似た和歌を見たことがあります。
この和歌の意味はもちろん、「落ちぶれて困り果てた時に知人友人の本心を知った」という意味なんでしょう。おそらくは、「人の心の奥」とは作者にとっては「冷たい対応」だったのでしょうね。「助けて」とお願いしたにもかかわらず、誰からの援助もなく、作者は途方にくれたのでしょうね。
平成23年(2011年)3月11日14時46分18秒、東日本大震災が発生しました。いくら自然災害とともに暮らしていた日本人といえども、地震と津波による災害で一万8千余名もの方たちが死亡・行方不明という大惨事になりました。今でもはっきり覚えていますが、あの年は3月と言っても雪が降っていました。多くの人たちが家族や友人、住宅を失い、襲い来る寒さと不安で眠れぬ夜を過ごされたことと思います。
地震の翌日には日本から逃げ出す外国人が多かった。特に中国人や韓国人が羽田に押しかける姿に、「このまま戻ってくるな!」と怒りさえ覚えました。その一方、アメリカ軍による緊急支援の力強さに勇気付けらた日本国民は多かったのではないでしょうか。
台湾からもすぐに緊急援助隊が駆けつけてくれました。そして同時に、台湾で始まった「日本、加油(がんばれ)!」は義援金の形で広まっていきます。日本政府は中国の手前、台湾を国家としては認めていません。にもかかわらず、台湾の人たちは日本への義援金運動を行いました。
日本への義援金が一番多かったのはアメリカです。2番目が台湾なんですが、台湾の人口はアメリカの人口の10分の1でしかありません。しかも台湾の人々の平均年収は200万円。そのことからも台湾の人々からの義援金の大きさが理解できると思います。「落ちぶれて、袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知る」。私はこの和歌のもう一つの意味を台湾の人たちの行動から学びました。本当に困っている時に支えてくれる人たちこそが「真の友人である」と。
エバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁は2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付されたそうです。本当にありがたいことだと思います。と同時に改めて「惜しい方を亡くした」と痛惜の念で一杯です。国交とは結局は「人と人とのつながり」であり、困難に直面した時にこそ身をなげうつのが友人の証(あかし)なんでしょうね。台湾の人たちが身をもって示した日本への友情に私たち日本人がいつか応えられる日は来るのでしょうか? By なでしこりん
私たち日本人は台湾の人々たちからの厚意にどう応えればいい?
なでしこりんです。日本のメディアの中には「台湾は中国の一部」という中国共産党の主張に「おもねて」、台湾の情報を遮断する連中がいます。このブログでも以前ご紹介した宮城県南三陸町の「南三陸町病院」の話題。病院の再建 費用の約4割、22億2000万円が台湾からの義援金であったにもかかわらず、そのことを一切報じなかったNHKとかいう放送局がありました。
日本国民の多くは「恩義に厚い国民」のはず。事実が報じられないと感謝の機会さえ奪われてしまいます。ということで、今日も台湾からのニュース。訃報ではありますが、この情報は日本人にとってはとても大切な情報のはずです。記事自体は1月20日のものですが、台湾の人々への感謝の思いを込めてここにご紹介いたします。記事は「フォーカス台湾」からです。
在りし日の張栄発総裁
2012年春の叙勲で旭日重光章を受章した台湾の海運・航空大手、エバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁が20日午前11時5分、亡くなった。88歳。
1968年に中古の貨物船1隻で海運業に参入し、1代で世界的な企業に育てた。89年にはエバー(長栄) 航空を立ち上げ、航空業にも進出。2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付するなど、 長年にわたって日台交流の促進にも寄与した。
1985年には張栄発基金会を設立。医療、教育、文化など、社会への奉仕を続けた。2011年時点で個人の資産は16億米ドルとされるが、張氏は生前、全て慈善事業に使い、子孫には残さないと公言していた。 (フォーカス台湾) http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201601200006.aspx
「落ちぶれて、袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知る」 これは鹿児島県の民謡「串木野さのさ」の一節にあるフレーズですが、きちんと五七五七七になっていますから以前からあった和歌なんでしょう。「南総里見八犬伝」でも似た和歌を見たことがあります。
この和歌の意味はもちろん、「落ちぶれて困り果てた時に知人友人の本心を知った」という意味なんでしょう。おそらくは、「人の心の奥」とは作者にとっては「冷たい対応」だったのでしょうね。「助けて」とお願いしたにもかかわらず、誰からの援助もなく、作者は途方にくれたのでしょうね。
平成23年(2011年)3月11日14時46分18秒、東日本大震災が発生しました。いくら自然災害とともに暮らしていた日本人といえども、地震と津波による災害で一万8千余名もの方たちが死亡・行方不明という大惨事になりました。今でもはっきり覚えていますが、あの年は3月と言っても雪が降っていました。多くの人たちが家族や友人、住宅を失い、襲い来る寒さと不安で眠れぬ夜を過ごされたことと思います。
地震の翌日には日本から逃げ出す外国人が多かった。特に中国人や韓国人が羽田に押しかける姿に、「このまま戻ってくるな!」と怒りさえ覚えました。その一方、アメリカ軍による緊急支援の力強さに勇気付けらた日本国民は多かったのではないでしょうか。
台湾からもすぐに緊急援助隊が駆けつけてくれました。そして同時に、台湾で始まった「日本、加油(がんばれ)!」は義援金の形で広まっていきます。日本政府は中国の手前、台湾を国家としては認めていません。にもかかわらず、台湾の人たちは日本への義援金運動を行いました。
日本への義援金が一番多かったのはアメリカです。2番目が台湾なんですが、台湾の人口はアメリカの人口の10分の1でしかありません。しかも台湾の人々の平均年収は200万円。そのことからも台湾の人々からの義援金の大きさが理解できると思います。「落ちぶれて、袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知る」。私はこの和歌のもう一つの意味を台湾の人たちの行動から学びました。本当に困っている時に支えてくれる人たちこそが「真の友人である」と。
エバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁は2011年の東日本大震災時には個人名義で10億円を寄付されたそうです。本当にありがたいことだと思います。と同時に改めて「惜しい方を亡くした」と痛惜の念で一杯です。国交とは結局は「人と人とのつながり」であり、困難に直面した時にこそ身をなげうつのが友人の証(あかし)なんでしょうね。台湾の人たちが身をもって示した日本への友情に私たち日本人がいつか応えられる日は来るのでしょうか? By なでしこりん